大学の国外追放

日本では全くニュースにもなっていないので、誰も知らないことですが、私の通っている大学が現在所在しているハンガリー(ブダペスト)からオーストリア(ウィーン)に移ろうとしています。理由は複雑で一つに絞れませんが、主には大学設立者のジョージ・ソロス(ハンガリー系アメリカ人の投資家・慈善家)と現政権フィデスの首相ビクトール・オルバンの対立のためです。対立というか、フィデスのソロスに関する全ての活動(NGO、大学など)を国外に追放する政策のためです。

この動き自体は私がちょうど大学に出願した2017年の春に始まったことでした。フィデスが2017年の年明けに勝手に高等教育法を改正し、私の大学だけが国内で運営できなくなるように様々な要件を付け加えました。草案が出て確か一週間ぐらいで議会で可決されたみたいな、日本だったらありえないようなこともこの国では簡単に起こっています。

(ちなみに、このフィデス党ですが2018年の春の選挙で再選したので、あと四年同じような政権が続きます。)

私自身も、出願したものの大学に合格できるかどうか、それ以前にそもそも大学の存続がどうなのか、という不安を感じたのを覚えています。四月ごろに大学から合格の通知が来て、とりあえず2017/2018のアカデミックイヤーは学生を取ることができ、そのまま(多分)ブダペストで卒業できるということでした。私はかなり楽観的なので、ブダペスト(もともと東欧好き)で好きな先生のもとで研究できるなんてなんて最高なんだ!まあ、どうにかなるでしょう、という甘い認識のまま契約書にサインをし、イギリスでの修論を予定より1ヶ月早く書いて提出し、修士課程の在籍途中にブダペストへと移住しました。

そのまま一年が過ぎ、その間に私の大学も法律に沿うように要件をクリアして、今では全ての要件をクリアしているんですが、とにかく政府は私の大学の運営を許可する契約書への署名を拒否し続け、そしてもうこれ以上待てないということで来月の一日までに署名がなければ、ウィーンに移るということになっています。一応あと一週間ほどありますが、署名する可能性はかなり低いのは誰が見ても歴然としています。これまで25年、この大学が運営してきたことに何も言わなかったのに、いきなり法律を変えて運営を停止させるなんて、法律に問題があったわけではなくて、鼻から私の大学を追い出すことしか考えていないわけです。

ということで、移るといってももちろん全てを一度に移動させることはできないので徐々に徐々に、少なくとも学部レベルで移動するのは五年以上がかかる計画かなと思います。私ももう入学してる学生なので、望めばブダペストで研究を続け博論を書くこともできる(というか権利はある)のですが、先生やポスドクがほとんど移動してしまうので、私もついていくつもりです。もちろん生活費がどれくらい出るかによりますが。ブダペストにいる生活費の倍額以上もらえないと暮らせないので、お金とビザの問題がクリアできれば、実験環境などはブダペストとウィーンを行き来して、うまくやっていけそうな感じです。

個人的な事情としては私は家族もいないし、この国の居住権も一時的しかない上、ここでキャリアを積むことは考えられないので、まあむしろプラスの面もあるかもしれないなと楽観的な考えのままなのは変わりないのですが、去年から引き続き今年も学部の代表で委員会に参加したりしていると、学部内の人々の意見、他学部の人の状況などを聞くと、心境はなかなか複雑なものです。この会議等でストレスがかかって数日しんどい時もありました。

ハンガリー人の人であったり、あるいは家族がここにいたり、その状況で働いている人、学生をしている人にとっては、ウィーンという比較的近い(電車で二時間半)都市に移動するだけであっても、重大な決断をしなければならないのです。しかしもうこれ以上引き延ばすことは、そういう人々にとっても良い状況を作るとは思えないのですし、だからこそ大学も決断したのかなと思います。

私の学部内でもラボによって意見が分かれていて、今の研究の質や特色を保つためにもいずれは全てがウィーンに移ることが一番ありえそうな気はしますが、同意できないラボ、教員、学生がいる場合は最悪その人々は去ってしまう(ブダペストに残る)のかなとか、色々考えてしまいます。

私のいる大学は、一般的な日本の大学と比べたら小さく、それでも経済、政治政策、環境政策、ジェンダー研究あたりは割と有名で大きな学部すが、私のいる認知科学はその中でもとてもとても小さく、でも小さいながらに本当にみんな研究をし、結果を出してきている場所だと思います。各ラボの先生は、例えみんなが大学の名前を知らなくても、その分野の人だったらみんな知っているような先生が普通にいるような環境です。

特に私が好きなのは、ラボとの距離がとても近くて、毎日他のラボの先生や学生にあったり、キッチンでちょっと談笑している間に違う分野間での共有の研究アイディアが生まれたり、昨今日本でもよく言われているような学際研究が、何も意識して計画しなくても、当たり前のように起こる環境なのです。学部内で一番多いのは心理学者とは思いますが、他にも哲学者、人類学者、言語学者、数学者など、さらに学部を跨げばもっと広い人々と交流することが日常な空間。

こんな素敵なユニークな空間が、物理的な距離が離れてしまうことで、少なくとも一部なくなってしまうのではないか、ということは私を含むほぼ全ての人が懸念していることではないかと思います。もちろんテクノロジーの進化によって、場所が離れていてもコミュニケーションは取れるし、そもそも同じ場所にいたって必ず毎日全員が揃うわけではないのだから、場所が離れても大丈夫だという意見もありますが、それでも物理的に近い接触はやっぱり魅力的だと思います。

なんだかまとまりのない記事となってしまいましたが、今この状況と気持ちを少しここに書き残しておきたいと思ったのです。今週の土曜日から一週間ほど、国会議事堂の前や市内でアカデミックフリーダムを謳ったデモンストレーションが各地で続きます。デモや政治的なことに全く興味がない私ですが、今回のデモだけは参加してみようかなと思います。私たちは出て行くけど、それでもこの国でのアカデミックフリーダムは間違った方向に行って欲しくないという気持ちです。

(現政権は私の大学の国外追放に加え、ジェンダー研究の禁止や、ハンガリー科学アカデミー(ハンガリーの学術最高権威)の研究費を国が管理すると発表するなど、どんどん学問の自由が奪われていっています。)

そういえば、もう一つ大学が好きなところでは、こういう個人の自由な考えや意見をすぐに教授陣と共有できたり、必要があればさらに上の機関と直々に話が出来る環境があることもあるかもしれません。上に書いたことはもちろん私自身が知ってることでしかないし、もしかしたら間違いも含まれているかもしれないし、でも私が思っていることを自由に発言したり、表現することが許されているし、守られているとも感じます。

というのは、日本の大学にいたら例え同じことが起こっていてもこんなことを書かなかっただろう、もしかしたら書くことを許されなかったかもしれないなと思ったので。そういう状況にいることすら、日本にいたままだったら私は気づけなかったのかもしれない。

*英語読まれる方は、学長からの政府に向けてのコメントを読んでいただけると、まあどういう感じなのかお察しいただけるかなぁと思います。