とうとう日記も五年目に突入

この九月からとうとう博士課程の五年目に突入した。ということでこの日記も五冊目に入ったことになる。

まさか真面目に毎年書き続けることができるとは正直思っていなかった。小学生ぐらいから「インターネット」に触れ始めてブログ的なことを試みたことは星の数ほどあるが、一つとして一年以上続いたものはないと思う。最後の一冊なので(これ以上長引かないことを願う)、改めてこの日記のことを振り返って書いておこうと思う。

日記の名前

『滞洪日記』という名前は、岩波文庫から出ている『量子力学と私』に収録されている『滞独日記』から拝借し、私はドイツ(独逸)ではなくハンガリー(洪牙利)に滞在していたので『滞洪日記』と捩って日記のタイトルにした。ドイツ(独逸)の方が孤独感というか雰囲気がでてより良い名前だとは思うが…。今はオーストリアに移動したので本当は『滞墺日記』にすべきだが、なんだか読みにくいし覚えにくいし、そもそも自分の意志で引っ越したわけではないので愛着のあるハンガリーを引き続き使っている。

『滞独日記』は物理学者の朝永振一郎が第二次世界大戦前にドイツに滞在研究していたころの日記が元になっていて、研究の苦しみを中心に自分の劣等感、失敗、妬み、文化、戦争などについて書かれている。かなり暗い日記なので、人によっては辛くて読んでられないような内容である(研究者ではない人にどう響くのかはよくわからないが、何か物を生み出そうとしている人には共通するテーマがあると思う)。

なぜこの日記の存在を知ったか忘れてしまったが、有名なのできっと色んなところで耳にしたように思う(大学院に入る前から知っていた)。今も手元にあって、時折読み返したりする。どう感じるかは自分の精神状態によって異なるので、やはり同じ書物を何度も読むのはそれはそれで楽しみがあるように思う。

日記の目的

元々日記を始めた理由は、自分が修士の時に博士課程をしている人のブログを読んで励まされた経験にあると思う。私が惹かれたのはいかに研究や博士課程が辛いかということがつらつら書いてある暗い内容のもので、そういう点では先ほどの『滞独日記』と通ずるものがある。今でもよくわからないのだが、こういう影のある文章に惹かれて、それから勇気をもらうことがある。

おそらくブログを書いた人人々は誰かを励ますつもりで書いたわけではないと思う。むしろ読んだら暗くなって大学院進学をやめようと思う人すらいるかもしれない。けれど不思議なもので私のようになぜか励まされる人もいるので、恩返しではないけど自分もプラスマイナス関係なく、ありのままの感情や考えたことなどを残しておくことで、誰かの役に立つのではないかと思った。

なので日記へのハードルも低く、強いていえばなるべく細かく記録すること(最近できていない)ぐらいで、内容のあるものを書こうとか役に立つものを書こうと思ったことは一度もない(英語や研究のことについて書いた記事もあるが、読んだから即時に役立つような知識は一切書かれていないはずである)。

日記の投稿数

日記の投稿数を振り返ると、一年目(と言っても四ヶ月だけ)は83本、二年目は84本、三年目は79本、四年目は66本と順調に減っている。減っている分研究に時間が回っていればいいのだが、まぁ最低月に五記事以上書いているのでそれなりにえらいと思う。本当は短くてもいいのでなるべくたくさん記録したいのだが。まとめて書くとどうしても「内容のある」ようなまとめになりがちで、本当にどうでもいい日々のこと(むしろそれの方が価値がありそう)が残りにくい。

五年目は授業で忙しかった一年目と同じぐらいに色々やることが多そうなので、日記を書いている場合ではないかもしれないが、しかし二年〜四年目に陥っていた強烈なSNS中毒が抜けつつあるので、むしろ投稿数が増えるかもと期待したりしている。最初の記事が九月の後半になって書かれている時点で、この推定は怪しい。

なんでこんなに続いたのか?

自分でやっていて疑問だが、なんでこんなにこの日記が続いたのかかなり不思議である。偉そうにいうことではないが、何か五年以上続けることができたのは小学生とピアノぐらいである。

一つには、最初から終わりが決まっていたのは大きいと思う(そういう意味では小学生も同じ。あれは義務教育なので自分の意思ではないが…そう思うと途切れ途切れながら続いているピアノはすごい)。このブログは始めた時点で、博士課程が終わったら終わると固く決心していたので、ゴールが見えていると走れるという言った具合だろうか。後は先ほど書いたように特に内容があるものを書こうという意識がなかったので、基本的には書きたいことを書いていい(テーマがなくても博士学生というアイデンティティでまとめられる)というのは続けられた要因かもしれない。

博士課程も終わりそう

始めた頃はいつか終わるんだろうなとぼんやり思っていた博士課程もそろそろ本当に終わりそうである(とはいえ一年以上あるのだが…)。先輩たちを見ている限り最後の一年が一番キツそうだが、まだその苦しみはやってきていない。その苦しみがもし訪れたらなるべくここに書き残しておきたいと思う。