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本屋をやめてハンガリーの博士課程へ

※本記事は『アカリク~大学院生(修士・博士)・ポスドクの就活とキャリア~ Advent Calendar 2019』18日目の記事として参加しています。

現在私はハンガリーにあるアメリカの大学で博士課程をしている。専門は認知科学で、手法としては主に実験を行う認知心理学である。今回は学士課程を卒業して、一度就職した後、再びアカデミアに戻ってくることになったきっかけや直面した困難などを書き留めておきたいと思う。

学部卒業まで

進学率が五割ほどの日本で大学に行くのが大多数とは言えないが、高校の時点でほとんどの人が大学進学を選んでいた環境に身を置いていた私としては、特に何の疑問を持つこともなく大学に進むことになった。

大学時代は今と同じように心理学を専攻していて、実験手法の基礎心理学だけでなく、カウンセリングを含む臨床心理学(心理療法など)など広く心理学を学んだ。卒業論文は認知心理学の分野で書き、またリサーチアシスタントとして研究室の実験補助をさせてもらった経験もあり、研究自体は楽しかった。しかし自分には肝心の研究テーマがなかった。

リサーチアシスタントをはじめとした実験補助の仕事も、若いうちは経験になるし、その後研究職に着くのであれば職歴としてもプラスに働くのかもしれないが、一生補助として生きていくことは出来ないとわかっていた。研究職につけるほどの頭脳もアイデアもないとわかっていたので、とりあえず大学院に行ってみようという気持ちもなく、働く道を選んだ。

就活は就活で全く向いておらず、働き先を探すのに苦労したが、結局知り合いの先生に拾ってもらって、大学の研究機関の秘書として、研究の補佐という意味で広く色んな業務に携わることが出来た。研究したい人を応援する気持ちは高かったのでこの仕事にやりがいを感じていたが、これもリサーチアシスタントと同様で一生出来る仕事ではないと感じていた。研究補佐を専門でやっていくには(例えばサイエンスコミュニケーター)、大学院に行って何かしらの専門性を身につける必要があった。

大学を卒業したとはいえ、結局アカデミアの枠に収まっていた私は、もっと社会とつながった仕事がしたいと思った。その中で縁もあって出会ったのは本(および雑貨)を売る仕事だ。ものを売ることに興味があった私は、この雑貨も売る変わった本屋さんで二年働くことになる。

再びアカデミアへ

二年間の本屋での業務は、大学で学んだ知識を直接生かせる仕事ではなかったが、それでも商品を仕入れて売ること、それにまつわる取引先や店舗を訪れる人々とのコミュニケーションなどから学ぶことは多かった。しかし店の業務を一通り把握した頃、ここでもまた一生出来る仕事ではないのではないかという疑念が沸き始める。

本屋で働きつつも定期的に大学の研究関係の人々との関わりを絶やさなかった私は、次第にどういう仕事が良いのかということだけでなく、どういう人々に囲まれて生きていきたいのかということを考えるようになる。もちろん本屋での同僚や街の人々との交流は楽しかったが、自分がより自分らしくいられるのは、アカデミアの人々に囲まれた時であると感じるようになった。

ふとアカデミアに戻ってみようと考えた後は、大学院にいる先輩方に相談したり、秘書時代に知り合ったイギリスの先生との出会いもあって、イギリスで修士課程を終え、その後ハンガリーで博士課程を始めることになる。

院試のハードル

普通に考えてまず社会人をやめて大学院に入り直すとなれば、日本の大学院、特に自分の出身校の大学院を検討するのが一番身近な方法かと思うが、私にとっては思った以上に院試のハードルが高かった。

研究科にもよると思うが、大学院に入る場合には試験を設ける場合が多く、一度社会人を経験して全く学業から離れていた私は、この院試が何となくでクリアできる課題ではないということがわかりきっていた。働きながらでもうまく時間のやりくりができる人は、休みや隙間時間に院試勉強をしているようだが、私の場合は拘束時間が長く店頭業務も多かったので、なかなか集中して時間をとることができず、ちゃんと院試勉強ができるのは退職後しかないという状況だった。

日本の大学に比べてイギリスの修士課程は、入学時にそこまでの専門性を問われることがなく、志望動機やインタビューで選考が行われることがほとんどだったので、退職後すぐに勉学を始めたかった私はイギリスで大学院を始めることにした。

(ただしイギリスで大学院に入るのは簡単だが、経済状況など諸々を考えると、実際に留学するのはそこまで簡単な話ではない。私はとても恵まれていただけなのであるが、そこらへんのお金の話は過去の記事にまとめてある。)

ハンガリーで博士課程

イギリスで修士号を取得した私は、もう少し研究をしたいと思い、博士課程に出願しようと思った。一年間とはいえ、修士課程に相当なお金を使った私は、博士課程に進むのであれば奨学金(それも返済不可)がなければ、これ以上学業が続けらない状態であった。日本でも学術振興会が博士課程の学生に研究費や生活費を支払う制度(通称DC)があるのは知っていたが、選ばれるのはごく一部の人であり、修士で特に研究業績がなかった私が選ばれるとは到底思えなかった。

真っ先に考えたのはイギリスでの博士課程だったが、イギリスは博士学生に三年間の奨学金(返済不要)を支給している大学は多くても、その支給要件が「イギリスもしくはヨーロッパ市民であること」であり、EU圏外から留学している日本人の私はそもそも出願することができないことが多かった。

そこで対象をヨーロッパの大学に移したのだが、そこで見つけたのは今通っている学部のあるハンガリーにある大学院大学であった。ハンガリーにあるのだが、アメリカの大学なので英語で研究ができ、また博士課程に合格した人は全員、国籍関係なく奨学金が支給されるという。世界を見てみると実に色んなプログラムがあるものだ。

私の場合はたまたま今の学部がやっている研究と自分の興味が近く、出願前に研究室訪問をして雰囲気も気に入ったこともあって、プログラムに応募し今に至るという流れである(実際の学生生活については、過去のnoteの記事に書いてあるので興味がある方は一読いただけると幸いである)。

アカデミアに戻る人の経緯はそれぞれ

私が書いた経験は私固有のものであって、誰にでも通じるものではないと思う。学士号を取得した後、一旦大学を離れてもう一度アカデミアに戻ってくる場合、その経緯は本当に様々で同じようなパターンを見ることが少ない。学部を卒業してストレートに修士課程に入る道は綺麗に舗装されていても、一度離れてから再び戻ってくるのが不可能でなくても難しいのが日本の大学院だという印象である。

私は一度社会人になってから、再び正規フルタイムの学生として大学院を始めたが、人によっては働きながら、パートタイムの学生として大学院で勉強してる方も多いだろう(詳しくはアカリクのアドカレの他の記事をどうぞ)。

そもそも博士課程に入るのに修士号が必要だと思って、私は修士から入り直したが、例えば仕事で研究分野と近い業務などをして修士相応の知識があるようであれば、必ずしも修士号をする必要もないようだ。

そもそも自分の研究テーマがないということで大学院に進学せず、正直今も人生を捧げたい研究トピックがあるわけではないのだが、今のところ刺激も多く楽しんで研究できているので、もう少しアカデミアに身を潜めていたいと思う。しかしながら研究者として生きていきたいかと問われれば、すぐさまイエスと言えないような状態ではある。

以上、個人固有の経験がどのように他の人に還元されるのかは甚だ疑問なのだが、これまで自分自身が様々な人々の大学院生活に至るまでの話や苦悩などを直接聞いたりブログを読んで励まされることが多かったので、この記事が何らかの形で助けになれば幸いである。

もし海外留学での相談などあれば、お力に慣れるかわかりませんがお気軽にご連絡ください。連絡先:Tominaga_Atsuko at phd.ceu.edu (atは@に直してください)


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