Shareする幸福論
はじめに
ずいぶん前に『into the Wild』という映画を観ました。
この映画は2007年に公開されたアメリカ映画で、ジョン・クラカワー氏のノンフィクション小説『荒野へ』を映画化した作品です。
この映画は映像も素敵で、アラスカの荒野に至っては自然が美しいけれど全てを呑み込むような怖いほどの空間として捉えているのが印象的でした。
この作品でわたしがとても印象的だった言葉があります。
今回はその言葉から、幸福について考えてみました。
荒野で餓死した青年が遺した言葉
この作品は先ほども述べたとおり、実際に起こった事件を作品にしたものです。
主人公は裕福な家庭に生まれながらも、「自分」を求め、全てを捨てて”North“にあるアラスカへ向かいます。
途中でいろんな人と出逢い、考えながらもたどり着いたアラスカの荒野。
そこで待ち受けていたのは、自然の美しさ、そして抗えない脅威でした。
彼は打ち捨てられたバスを根城にして生活をしますが、厳しい自然のなかでとうとう餓死してしまいます。
そんな彼の遺体が発見されたとき、バスの壁に遺された一言が忘れられません。
「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ。」
(Happiness only real when shared)
どんなに美しいものを見たとしても、どんなに美味しいものを食べたとしても、どんなに綺麗に着飾ったとしても、それを人と分かち合うことができないならば本当の幸せとは言えない、ということだと解釈しています。
自由と幸福
私は独り身なので、基本的にひとりで何事も行います。どこかに行くのも大抵一人ですし、困ったこともありません。
ひとりに慣れすぎてしまったが故に、一人で行動できないという人の話を聞くと驚いてしまうくらいには一人行動が得意です。
ひとりでいることが好き、ということもありますが、一番の理由は『楽である』ことなんですね。
ひとりは何事も自由。
誰にも邪魔をされないし、自由に選択できる。
これはわたしの中で変えようのない、揺るがない事実です。
しかし、幸福という視点で考えてみると、果たしてひとりは幸せと言えるのか。
最近ふとしたときにそう思うことがあります。
自由と幸福は別物のはず。
それなのに、混同しているときがあることに気が付きました。
自由だから幸福なのではなく、
自由だからいろんな選択肢がある。
いろんな選択肢があるから、幸福になる選択肢も探すことができる。
順番を間違ってはいけませんね。
彼の遺した言葉を意識してから、思うことがあります。
今日が人生最後の日だとして、
どこで どんなことをしたいか。
いくらわたしが大食漢だったとしても、人生の最後に「美味しいものを独り占めしてお腹いっぱい食べたい!」とは答えないでしょう。
やはり、好きな人と好きな場所で穏やかに過ごしたい。
こう答えると思います。
社会的生物の幸せホルモン
人間は社会的生物です。
ひとりでは生きていけないというのは真実だと思います。
幸せホルモンといわれるホルモンの一つに『オキシトシン』があります。
『オキシトシン』はもともと出産や育児の際に分泌されるホルモンとして知られていました。
たとえば母乳分泌促進作用などですね。
しかし、近年では母子間以外にもスキンシップによって分泌されることがわかってきており、恋愛ホルモン、抱擁ホルモン、思いやりホルモンなどと呼ばれることもあります。
このホルモンを分泌させるのに身体的なスキンシップは必要ありません。
同じ空間を人と共有すること、これが大事になるようです。
一緒に食事をしたり、スポーツをしたり、散歩したり、美術館に行ったり。
共有することで、幸せホルモンが分泌されて幸福を感じることができるというのです。
人と共有する行為、その先にあるもの
前に流行ったポッキーのCM、観たことのある人もいるのではないでしょうか。
合言葉は『シェアハピ!』
自分ひとりで食べるポッキーよりも、ポッキーをあげたときの相手の笑顔と食べた時の幸せそうな顔を見ることで自分も幸せを感じることができるよ、このCMはそう伝えているのかなと深読みしました。
つまりは、美味しさの二次的効果ですね。
以前、友達の子供が食べていたビスケットを「はいどうぞ!」とくれたことがありました。
もしかしたら親がそう躾けていたのかもしれませんが、本来ならば自分が全部食べれるはずの美味しいものを、親から言われずとも自ら差し出すという行為にいたく感動した記憶があります。
きっと子供なりに感じていたのでしょう、あげたときの相手の「ありがとう」という言葉と笑顔が返ってくること、そしてそこに嬉しいという気持ちがあることを。
心理学の分野で有名な学者さんの言葉を思い出しました。
『電車で座っているときに困っている人に座席を譲る行為、これは自分の幸せのためです。
なぜなら、人に席を譲ったという自己満足で満たされるから。』
変な話ですが、困っている人に席を譲ったことで自分が嫌な気持ちになるならそれをやるべきではありません。
自分が席を譲ることでその人が少しでも幸せになった、そう思ったから自分も幸せだと感じる、だから席を譲って良かったと嬉しくなるのです。
WINーWINの関係
人と空間を共有することも、人にプレゼントする気持ちも、人に何かをしたことで満たされる感情も。
全ては人が関わっています。
わたしのような独り身も、人と関わることは自分の幸福のためにとても大切なことだと思うのです。
親にありがとうと言ったり、友人にそれ素敵だねと伝えたり、飼っている動物に可愛いねと伝えてみましょう。
言葉のスキンシップです。
言われて嫌な気持ちになる人はいないと思います。
自分にはそんなこと共有できるような親しい人なんていないよ、と思う人もいるでしょう。
親しい人がいないのならば、赤の他人でもいいのです。
ご近所さんに「こんにちは」と気持ちよく挨拶をしたり、荷物を届けてくれる宅配業者の人に「いつもありがとうございます」と丁寧にお礼を伝えたり、庭先を綺麗にされているご近所さんがいたら「いつも綺麗にされていて気持ちが良いです」と嬉しい気持ちを素直に伝えてみてもいいかもしれません。
それも難しければ気がついた時だけで良いのです、電車で席を譲ってみたり、フェミニストを気取ってドアを開けてあげることだってとても素敵なことです。
要は、相手が嬉しくなることで自分も嬉しくなることを見つけることができたらいいのです。
それはお互い幸せなことであって不幸ではありませんよね。
自分だけが幸せを独り占めするのもいけませんし、他者の幸せを優先して自分が嫌な気持ちになってしまうのもいけません。
どうしたらWIN ーWINの関係になるのか、常に模索する姿勢が大事だと思っています。
おわりに
幸福は待っていても訪れるものではありません。
ましてや、欲しいと思っていただくものでもありません。
人と関わろうと自ら行う行為のなかに『幸せホルモン』は存在しているんだと思います。
『into the Wild』の主人公も、もしかしたら人と関わったからこそ最期に自分を見つけられたかもしれませんね。
今日が人生最後の日だとして、
どこで どんなことをしたいか。
それを実現するために、今、なにをすべきなのか。
その答えを日々自分に問い続けていきたいです。
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