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カウンター式ダイニングテーブルが、次男の涙を消してくれた話

次男の様子がおかしいことにぼくらが気がついたのは、彼が泣きながら家に帰るようになってからだった。

小学校2年生になってから、彼は家に着いたとたん、まさに玄関を開けた瞬間から泣き出すようになった。

家に帰るたびに泣き出す次男を見て、ぼくと妻の心はキュッと締め付けられた。自分のことよりも何倍も辛いと感じてしまう。

泣きながらしどろもどろに話す彼の言葉はよくわからず、なんども聞き返してやっとなにがあったのか理解できた。

学校で長男の名前で呼ばれてからかわれた(長男と次男は双子)

課題のハーモニカがうまくできない。

工作物の出来を同級生に酷評された。

トイレで誰かに蹴飛ばされた。

黒板に貼られた日直カードをひっくり返さなければいけないのに(次男は日直カード係らしい)、毎日誰かが勝手にひっくり返してしまう。

そのなかには、(そんなことで泣くの?)と思うこともあったけど、ぼくらに話したくても話せないうちに、いろんなことが降り積もってしまったんだろう。

あれこれ思い出しながら涙が止まらない彼を見て、ぼくと妻は次男の心のケアに集中しようと心に決めた。

それから数ヶ月、色々なことを試し、今では少し彼の心も落ち着いてきた。

泣いて帰ってくることはほとんどなくなり、気のせいか言動も少し堂々としてきたように思える。

ぼくら夫婦がこの数ヶ月間に行ったこと、彼に起こった小さな変化について、今回は書きたいと思う。

「どちらかは消えてしまうかもしれないよ」

妻の妊娠中に、産婦人科医はそう言ったんです。

双子はふたりとも無事に産まれるとは限らない。お腹の中での育ち方次第では、子宮の中でひとりは消えてしまうかもしれない。

「もう一人の方に吸収されてしまうことがあるから」

医師は淡々とそう言いました。

長男と次男はお腹のなかで栄養を取り合っていました。子宮はひとつしかないので、母親からの栄養をお互いに取り合うことになるんです。

思えばそれは、「消えて」しまわないための、ふたりの戦いのはじまりだったのかもしれません。

毎月の定期検診のたびに、ぼくはどちらかが消えてしまっていないか、とても不安でした。

お腹の中で元気なのはいつも長男でした。

「動いた!」

と思ったら、それはいつも長男でした。

エコー健診で見る次男は、お地蔵さんのように静かな顔をしてました。

彼は産まれる前から静かだったんです。

一卵性の双子は遺伝子がほぼ同じだから、性格も同じなんだろうと思っていたけど、それは大きな間違いでした。

産まれる前から彼らの性格は全然違っていて、産まれたあとはどんどんその差が開いていきました。

先頭で走るのは長男、踊り出すのも長男、しゃべり出すのも長男が最初でした。いつも彼は次男の先を行き、次男はその後をついていきました。

お腹が空いたとか、遊んで欲しいとか、寂しいとか、そういった感情を強く表現するのも長男でした。

気がつけばぼくと妻は、主張の激しい長男の相手をすることが多くなっていたんです。

次男はおとなしい子。

それが彼に対するぼくらの感想でした。

手がかからないとは言えないけれど、それでも「ぼくが!ぼくが!」と前に出るタイプの長男よりは手がかからなかったのだと思います。

保育園まではそれでよかったんです。

ひとりひとりをちゃんと見てくれる保育園だったので、次男は毎日楽しそうに登園していました。

ですが、小学校に入り、慣れない1年間が終わり、2年生になった頃、彼は毎日のように泣いて帰ってくるようになったのです。

それは、彼に産まれてはじめて起こった”強い主張”でした。

涙ながらに訴える彼の主張は、それほど大きな問題には思えませんでした。

重要度が高かった「トイレで誰かに蹴飛ばされた件」は、学校の先生に連絡し、すぐに解決してもらいましたが、それ以外は別のところに原因があったようです。

彼は困ったことがあると、長男と違って人に頼ることがすぐにできないんです。自分の感情を素直に表現して、周りに助けを求めることが苦手なタイプなんです。

学校でもわからないことがあると、すぐに友だちや先生に聞けなくて、そういったちょっとしたことが重なっていくと、ダムが決壊するように涙があふれてくるようでした。

きっと、いままでもぼくらに言いたいことがあったんだと思います。

だけど、それは声の大きい長男にかき消されたり、ぼくらの(この子は大丈夫)という思い込みによって、ないことにされていたんだと思います。

長男と次男が4歳になった頃、三男が生まれました。

4年前のその日から、ぼくらは三男のお世話に追われるようになり、長男の影にいた次男は、今度は三男の影に隠れるようになりました。

三男は今ではすっかり甘え上手になり、かわいい上目づかいにやられているぼくは三男に振り回されてばかりです。

次男は産まれてからずっと、ぼくら夫婦からの愛情が不十分だったんだと思うんです。

大切に育ててはきたけど、どうしてもかたよりがあったんだと思います。

自分から強く主張をしないからといって、なにも不満がないわけじゃないんですよね。

ぼくと妻は、彼の止まらない涙を見るまで、そのことに気がつかなかったのかもしれません。もしくは、忙しく過ぎる毎日のなかで見ないことにしていたのかもしれません。

次男が泣いて帰ってくるようになり、真綿で締められるような辛さを感じていた妻は、長男と三男の話よりも次男の話をもっとも聞くようになりました。

3兄弟の育児はかなり大変なのですが、妻は泣き崩れる次男を抱きしめ、なにがあったのかを詳しく聞いてあげたのです。

そのあいだ、長男がそばにやってきても、長男を遠ざけ、次男の話をゆっくりと聞いてあげました。

「そうなんだね。それはイヤだったね。辛かったね」

妻に抱かれた次男は徐々に静かになり、いつの間にか泣き止むのでした。

しばらく、学校帰りは妻が学校の近くまで次男を迎えに行っていました。

長男は同級生たちとワイワイ言いながらにぎやかに帰ってくるのですが、次男はいつもひとりでゆっくりと帰ってくるんです。

まっすぐ一本道の向こうに次男の姿が見え、ゆっくりとこちらへと歩いてくる。

母の姿を見かけると安心するのか、妻と一緒に帰ってくる日は何度も泣くようなことはありませんでした。

次男がぼくに話しかけてきたときは、手を止めてきちんと話を聞くように気をつけました。

いままでは、家事をしているときは「はいはい」と適当に流したり、仕事のことを考えているときは「あとでね」とあと回しにし、そのまま忘れてしまうことが多かったんです。

つっかえながらも話したいことを伝えると、彼はすっきりした顔でいなくなるんです。

(話を聞いてもらえた)という安心感を彼が感じていることが、その後ろ姿からは伝わってきました。

彼はいままで安心感を感じていなかったのかもしれません。パパとママはぼくの話を聞いてくれないという寂しさを抱えていたのかもしれません。

子どもが3人もいると、みなが同時に話しかけてきて頭がおかしくなりそうになることがしょっちゅうなのですが、「いまは〇〇のお話を聞いているから、待っててね。お話は一人ずつね」とルールを作ったのも、この件がきっかけでした。

「お話は一人ずつ」と伝えると、意外に4歳の三男もわかってくれて、長時間でなければ自分の番を待ってくれるようになりました。

長男と次男は同じ習い事をしているのですが、長男は要領がよくてスルスルッとなんでもできちゃうんです。

次男は小さなことが気になるタイプで、なかなか前に進めなくて泣いてしまうことがあったそうです。長男と自分を比べて感じる劣等感の存在も大きかったんだと思います。

習い事先の先生と何度か相談し、次男は産まれたときから愛情をあまり受けてこなかったこと、三男が生まれてからよりガマンをすることが多かったことも伝えました。

先生は事情を理解してくれて、習い事先でも頻繁に次男に話しかけてくれるようになりました。

家庭と習い事、そして学校の先生にも協力してもらい、ぼくらは次男の言葉に耳をかたむけ、彼の心に眠る感情を引き出すように努力をしました。

意外にも効果があったのが、ダイニングテーブルの配置換えでした。

いままでは、ダイニングテーブルにぼくと長男が並んで座り、向かい合う形で反対側に妻と次男が並んで座っていました。

三男はまだ小さいので、テーブルの短面に座っていました。

長男と次男が顔を合わせるとケンカになるので、斜めになるように座らせているのですが、それでもお互いに言いたいことを言おうとして、ケンカになっていたんです。

次男がパパとママに言っている言葉を長男が拾い上げて、「それ違うよ」と茶々を入れてケンカになることがよくあったんです。

逆に、長男の言葉に次男がツッコミを入れてケンカになることも多かったです。

どうしたらいんだろう……。

子どもたちだけテレビ前の小さなテーブルでご飯を食べさせれば、おとなしくご飯を食べているけど、毎日そうするのはどうかと思うし、第一、それだと子どもたちの言葉は引き出せません。

どうしたものかと悩んでたある日、みんなで行ったラーメン屋でヒントが見つかりました。

その日はテーブル席が空いておらず、カウンターしか空いてなかったのです。

しぶしぶ5人並んでカウンター席に座ったのですが、意外にもこれが良かったのです。

隣にいる人にしか言葉が届かないので、長男と次男のそれぞれの話をきちんと聞くことができて、兄弟が余計な茶々を入れることもなかったんです。

これだ……!

とぼくらは思い、家に帰るとさっそくダイニングテーブルを壁にドンと寄せ、なんちゃってカウンターテーブルにしたのです。

全員が座るにはちょっときつく、なんならぼくはテーブルの角に座っていますが、子どもたちと会話をすることが楽になり、長男と次男も自分の話を兄弟にジャマされることがなくなったんです。

壁際に寄せられたダイニングテーブルは、はじめて見る人には違和感しかないでしょうが、ぼくら家族にはベストな配置でした。

子どもたちそれぞれの話を聞いてあげられる余裕が、カウンター式ダイニングテーブルのおかげで生まれたんです。

次男が泣いて帰ってきた日から数ヶ月が経ちました。

妻が学校の近くまで迎えに行くことは減り、次男は時々、友だちと一緒に帰ってくるようになりました。

男の子よりも女の子と一緒にいる方が楽なのか、何人かの女子と一緒に帰ってくることもあります。

「〇〇くんって面白いね」と女子に言われることもあるそうです。次男が人を笑わせることが好きなことも、ここ数ヶ月で知った出来事でした。

彼が泣きながら帰ってくることはほとんどなくなりました。

イヤなことがあった日には泣くこともありますが、泣きながらもなにがあったのか話してくれるようになりました。

学校の先生に連絡するのか、自分で解決するのか、彼と一緒に考えながら解決するようにしています。

次男が笑顔を見せる機会も、以前より増えたような気がします。

彼の笑顔はくったくのない、どこまでも広がるような笑顔なんです。本当に心から楽しいと思っていることが伝わってくる、素敵な笑顔なんです。

泣いてばかりだった数ヶ月前が嘘のように、彼が不意に見せくれる笑顔は本当に素敵なんです。

こないだは、寝る前にこんなことを言っていました。

「パパ、ぼく、夏休み、すっごく楽しかったんだよ」

なんで?と聞くと、彼はこう答えたんです。

「だって、宿題ぜんぶ終わったらダラダラ遊んでいいんだもん」

宿題をさっさと終わらせて遊んでばかりだった夏休みが、よっぽど楽しかったようです。ニコニコしながら、彼はそう言ったんです。

テストの点数なんか気にしなくていいから。

字が上手く書けるかどうかなんて気にしなくていいから。

友だちが少なくてもいいから。

どうか彼が楽しいと思える日々を送れますように。

ぼくはそう願いながら、彼におやすみのハイタッチをし、寝室をあとにしたのでした。



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