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手にはマイク、ハートにリスペクトで心の奥底に降りていく。

さおりすさんの表情がなにかに気がついたように変わった。

ZOOM越しにも、感情の変化が伝わってきた。

ぼくはお話を聞きながら疑問に感じたことを口にした。

「なぜ、それほど大変なことがありながらも、夫さんと家族でいたいと思うのですか?」

さおりすさんは自分の中から出てきた言葉を、ひとつひとつ確かながらこう答えられた。

大きな危機を経て、夫の変化を感じ、じぶん自身の気持ちにも変化が起こっているように感じるから。子供と等身大で遊ぶ夫、子供にとってのパパである姿を見た時に、それまでにはなかった自分の感情が言葉として出てきた。自分には、できていない役割を果たしてくれているように感じる。今ようやく、家族の中にそれぞれの役割ができてきた気がする。もう一度家族で暮らしていきたいと思っている…。
さおりすさんのnoteより

先日、野本響子さんの執筆サークルで大変お世話になったさおりすさんとお話をさせていただく機会がありました。

さおりすさんがその時のことを記事にしてくれていたのですが、記事を読みながら(あ、ぼくはすごい瞬間に立ち会ったのかもしれない)と思ったんです。

夫婦関係の大きな危機を何度も経験しながらも、さおりすさんが自分の思い(もう一度家族で暮らしていきたいと思っている)に気がつけた瞬間。

ぼく、この時のことをとてもよく覚えているんです。

さおりすさんの表情が変わり、少しずつ自分のなかから言葉を紡ぎ出し、自分の本音にたどり着いたように見えたんです。

夫婦関係のこじれは、お互いの素直で柔らかな感情を伝え合わないことによって起こるとぼくは思うのだけど、「伝え合う」ためにはいくつかのステップがあり、最初は「自分の気持ちに気がつく」必要があるんです。

そして、「自分の気持ちに気がつく」ために必要だったのは、リスペクトを伴う客観的な視点だったんだなと、さおりすさんの記事を読んで感じたんです。

多くの人はパートナーへの「恨み」を積み重ね、恨みが「嫌い」という感情に変わり、次第に生理的に受けつけなくなっていきます。

「なぜなんだ?」とパートナーに聞かれても、「だって、こうなってしまったんだから仕方ない。自分にもわからない」と答えます。

パートナーが関係性を改善しようと努力をしても、作用反作用の法則のように反発を生み、なかなかうまくいきません。

でも、心の奥では違う感情もあると思うんですね。

「許したいけど許せない」

「今さら関係改善をしようにも、どう接すればいいのかわからない」

もしくは、さおりすさんのように、「もう一度、家族として暮らしていきたい」といった感情が。

自分の思いに気がつき、柔らかなその感情を相手に伝え、大切に受け止め合うことで、夫婦の親密性は作れると思うんです。

ですが、多くの人は「自分の思い」に気がつくところで止まっています。

簡単そうに見えて、実はかなり大変な作業なんです。

特に夫婦関係になると、いろんな感情が自分のなかに渦巻いていますよね。

恨み、嫉妬、憧れ、などなど。

さまざまな感情の渦に巻き込まれて、なかなか自分の柔らかな本音まで辿り着けないんです。

どうしても、その途中で待ち伏せている感情たちにジャマされて、パートナーに対する思いがネガティブなものに染まっていきます。

自分でもそんなことは望んでいないのに、どうしてもそうなってしまうんですよね。それがさらに、パートナーへの恨みを増長させ、ふたりの距離をどんどん広げていきます。

パートナーに対する柔らかな気持ち(本当は一緒にいたい、もっと優しくして欲しいなど)は、確かに心の奥底にあるんだけど、あまりに深すぎて自分一人ではなかなか辿り着けないんです。

そこで必要になるのが、他者からの客観的な視点です。

話を聴いている側は、話し手の感情の渦に巻き込まれることはありませんので、話し手の心の奥に見え隠れする柔らかな本音の存在に気がつくことができます。

もちろん、話し手に共感を寄せながら話を聴くので、感情の渦がそこにあることがわかっているんですが、そこに飛び込むのではなく、横で寄り添うように一緒に歩いていくんです。

すると、話し手の感情に寄り添いながらも、感情の渦に巻き込まれずに、冷静に客観的な視点を得ることができるんです。

今回、さおりすさんのお話を聴きながら、「大変な思いをされながらも、さおりすさんは夫と一緒に暮らす選択をしている」と感じました。

その選択にはきっと理由があるんだろうなと感じたんです。

合理的とか効率的とか、そんな選択じゃなくて、さおりすさんの心が「そうしたい」と思える情緒的な理由があるような気がしたんです。

でも、パートナーに対するさまざま種類の感情を、それもかなり深度のある感情を抱えている本人では、そこまで自分で降りていくのは大変だと思うんです。

ぼくもそうです。ぼくも自分の素直な気持ちに気がつくのは、他者と話しているときです。

それからもう一つ、柔らかな感情に気がつくために必要なものは「リスペクト」だと思っています。

これは、野本響子さんがVoicyでおっしゃっていた「議論の前提はお互いへのリスペクト」という言葉がきっかけでした。

お互いにリスペクトを抱いていないと、対等な目線での議論でできないですよね。

リスペクトがないと、お前に言われたくないとか、そんなことに興味はないといった態度が透けて見えて(時には言葉に出して)、話し合いになんてならないですよね。

話し手に対するリスペクトがないと、聞き手は話し手の柔らかな感情や本音に興味を持とうと思えないんです。

リスペクトと言っても、相手を尊敬するとかそんな大層なものじゃなくて、「相手を大切な存在として扱う」というシンプルなものだと思うんです。

片手にマイク(客観的な視点)、ハートにリスペクトを抱くことで、話し手の心の奥底に眠る本音を、そっとテーブルに出すことができるのかもしれないなと、さおりすさんとのお話のなかで気がつかされました。

これを夫婦でできるといいなと思うのですが、それを実践されているのが取材ライターの野内奈々さんです。

こちらの記事からの気づきもあるので、また別記事でまとめようと思います。

さて、片手にマイク、ハートにリスペクトで、今日も妻と向き合っていこうと思います。

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