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架空書評:芥川龍之介『蜜柑』

※本書評はこの本を読んでない筆者がタイトルのみから連想し、架空で拵えたものです。
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「Lemon」という歌謡曲が巷で流行る中、芥川はあえて蜜柑という同じ柑橘系をぶつけてきたのだろうか。それは流行に対するアンチテーゼ。J-POPと、そして日本の文学界に衝撃をもたらした問題作。これを読んだ人は、あまりの過激さに失明するとまで言われている。

実際に本作の担当編集であったY氏とは、日暮里のダーツバーでよく一緒させてもらうのだが、本作に関わり始めてからは一切顔を見せなくなった。心配になって連絡してみたところ、メッセージを送って3日後にようやく返事が来た。

今回のはやばいぞ。

出版社に勤める人間は、普段から日本語の表現には気を使う。言葉の商売なので、安易にやばいだのエモいだの言う前に、その場に即した語彙を選択することができる。そのY氏がやばいとしか表現できないほどの作品。正直鳥肌が止まらなかった。その後Y氏は本作の過労のため、家族を捨ててブラジルに渡り、お好み焼きは実は広島焼きであることを訂正する仕事に従事している。…このように、本作で人生が変わってしまった人は数え切れない。

発売から5日でなんと3刷という偉業を達成。世間は今、空前の蜜柑フィーバーに沸いている。Lemonに蜜柑…日本の文化界は圧倒的柑橘果汁系モードなのだ。芥川は現代に生きる人間の心象を鋭く切り取り、我々にこれでもかと突き付けてくる。戦争、生と死、情報、宇宙、味噌汁、オオカバマダラ、奥田民生…本作は芥川賞のノミネート作品にもなっており、その関心はとどまることを知らない。

特に日本は、これほどまでに豊かなのに、さらなる成長を求めて迷走している。人々はうすうす気づいているはずだ。本当に豊かになる必要はあるのか?なぜ?私は何のために生まれてきたのか?

答えなんてない。ただ日常でやるべきことをこなし、粛々と死んでいくのが人間。社会を維持する養分として、貴重な時間、体力、人生を差し出し、さも素晴らしいかのように感じて納得しているのだともいえる。達成感、充足感、幸福感、それは本当に現物なのだろうか。誰も疑わない。疑わない方が楽だ。その時々で用意された感情のパッケージに沿って、人生を消費していくことで、我々は辛うじて延命している。

補足をしておくと、蜜柑という小説からは、上記のような感想は一切沸いてこない。上記のモヤモヤは私が落合陽一とか、その辺りの書籍を読んで感じたことに過ぎない。蜜柑はそんな小説なのだ。そんな小説を嬉々として読み漁る現代人。芥川はきっと奥田民生の大ファンなんだろう。

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