境界線をたどる ―窓と扉―
リビングの窓を見ていて、不思議に思ったことがある。
外の光を入れる窓だけど、ベランダへ出入りするための扉でもあるからだ。
同じように街の中でも、窓と扉のどちらの役割も担っているガラスは結構ある。
その光景は一般的であるし、今まで当たり前のように使ってきたけれど、ひとたび2つの役割を認識すると、たちまち気になってしまう。
どうして窓と扉は一緒に出来るのだろうか?そもそも、それぞれの役割で重複点があったのだろうか。窓と扉の境界線は、どこにあるのだろうか?
私の感覚では、窓は内側から外側への一方通行な印象がある。外から中を覗くためにあるというよりは、中にいる人が、外界から守られながら様子を伺えるようにある気がする。
一方、扉は間違いなく内側と外側の双方向である。外から中へ入ったり、中から外へ出たり。
そう思うと窓と扉は、やっぱり別物に感じられてくる。
ただ、こうやってそれぞれの印象や特徴を洗い出してみると、2つの重複点が見えてきた。
それは、「結合」と「分離」を繰り返しているところだ。
内側と外側を、ゆるやかに繋いだり、離したり、そしてまた繋いでいる。
当たり前のように思えるけれど、丁寧に捉えてみると、無限に続いている外界と、そこから切り取った有限な空間とを、あまりにも自然に繋いだり離したりしている。
どういうことかと言うと、窓を通して中から外を見るのと、外から窓を見るのとでは、同じ行為であるけれど印象や目的は違う。
同じように、扉を通して中から外へ出るのと、外から中へ入るのとでは、同じ行為であるけれど思うことや目的は違う。
窓と扉は、全く異なる双方向の人々の意識を、あまりにも自然に結び、可能にしている。
なんだかややこしい話になってしまったが(ゲシュタルト崩壊しそう…!)当たり前の風景からある要素を抽出して、深く考えてみるのは面白い。
また丁寧に境界線をたどってみたい。
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