見出し画像

サコさんともこさん対談〈その3〉

今日は、京都精華大学のウスビ・サコ学長と去る6月16日に行った対談の最終回、第三部【SDGsと世界と未来】篇をお送りします。

※この対談は6月16日に行われました。

【第三部:SDGsと世界と未来】

ニールセン:サコさんのご専門の空間人類学の関連で伺いたいのですが、今は日本でもSDGsがブームのようになっていて、今はコロナなので受け入れがないんですけど、デンマークに視察に来られる方、みんなSDGsのバッジをつけているんです。でも、SDGsの中身のことはあんまりよくご存知なくて。SDGsは特に2030年までになんとかしないといけない17項目に絞ったものなのに、内容自体をよくわかっていないし、自分の組織とか会社とかでどう対応していいのかわからないという状況も結構よくお聞きするんです。

でも、気候変動が進んでいるのは日本でもかなり身近に感じられますよね。気温が異常に上がるとか、ものすごいゲリラ雷雨が多いとか、そういう状況からも気付いているんじゃないかと思うんですけど、この気候変動の状況と人々の認識の度合いの差を10年しかない中でどうやって埋めていったらいいんでしょうか?

「やってる感」はあるが本質は…

サコ:日本は「まつりごと」が好きなんですよね。ISOが来た時に、みんながISO14000とか何だとか取らなければいけないということになった。でも、あれをつけると会社のイメージがアップするとか、会社に、うちはやってるぞという姿勢を見せながら、別の所では環境破壊し続けたりしていた。環境問題に対する感覚っていうのは、日本さえ良ければいいっていう考えが昔はあって、でも、デンマークで起こる環境問題は日本にも影響を受けると地球規模で考えなければいけない。でも、これまではみなさんがあまり地球規模で考えようとしなかったことがやっぱり大きな問題なんですよね。

SDGsもやり始めてた時に市とか何とか、いつの間にかみんなバッジ付けてて(笑)。みんな、今の時代はSDGsだぜ、と。でもこれはSDGsどうこうではなくて、世界なんですよね。世界中でお互いに差がないように平等にしていきましょうっていうことで、いろいろな項目において、ひとつのところが良かったら他の所も助けて一緒にゴールに向かっていきましょうというのが重要なんです。でも、日本はあまりそういう考えに至っていないようですよね。かっこいい、自分が満足すればいいし、なんかかっこいいマークを自分でつけていればそれで十分みたいなところがありますね。そこが問題で、これから気づくのであれは遅いと思うけど、気づかないままで終わるかもしれませんね。というのは、やっぱりこれも自己責任で考えてしまっている。でも、あなたがやっていることが、他の人にも影響を与えてるんだよということですよね。

例えば、あなたが100円のマクドを食べている時に、1円以下、あるいは5円以下の労働をどこかで誰かがやらなきゃいけない。 だからあなたのその生活を維持するために、他の人も苦しんでる。そして、苦しんでいる人にも、ちゃんと権利はある。そこにもう少し配慮しましょうということですね。

でも、日本ではブームになっていくと、イメージだけが先行して、日本の会社は全てSDGsが導入されている、私たちも大学でSDGsのプラットフォームが入ってますとか、そんなのはどうでもいい話だと思うんですよね。ひとりひとりの行動が見直されなければ、何も意味がない。でもひとりひとりの行動をどうやって自分が見直していくかということがとても重要だと思うので、だからそういう意味では私たちの大学もそうですが、研修を通して一人で動いて解決できるものもあるかもしれないし、みんなで動いて、目標をちゃんと理解して、せめてこの目標だけはクリアしましょうとか、自分たちにとって解決可能な目標を認識して設定するということが大変重要なんです。結局、日本のSDGsとかをやってる人たちは、あんまりそういった感覚を持っていないのかもしれませんね。

ニールセン:そうですよね。SDGsの中には気候変動の問題も含まれていて、例えば、もう世界の気候帯は熱帯・亜熱帯のエリアがどんどん広がっていて、日本も東北の南ぐらいまではもう亜熱帯・熱帯に入ってきているから、台風が発生している場所も北上してきて日本に直撃するものも増えているし、規模も大きくなってるし、暴風雨も多くなっている事実がすでにあるけれども、そのことはあんまり報道されていないですよね。例えば、日本の天気予報では、明日は酷暑ですとは言うけれど、なぜそうなっているかの話にはならない。

たまに自治体に行ってお話しをする時に、もうそういう状況なので、例えば今までと同じ都市計画だと、街が危険な状態になる可能性もあるし、酷暑とかが増えていくので、私が被災地の復興支援に入っている宮城とかでも、学校に冷房を入れるっていう話になっているけど、冷房よりまずやるべきはおそらく断熱なんですよね。断熱をしないとも熱もダダ漏れだから、いくら性能の良い機械をたくさん入れもダメなんです。断熱をすることで冬の部屋の気温も暖かく保つことができますし、夏は涼しさを保てる。また、日本では交通事故死よりもヒートショック死の方が多いといった、なかなか認識されてないけれど、断熱という考え方を正しく知ることで、こうした深刻な問題もカバーできる部分があるのだから、まずはそこをやりましょうという、根本を解決する方向にならないのがとても不思議なんですよね。

サコ:それは一般市民はやるべきことになってしまっているけれど、SDGsと結びついたそうした対策はなかなか行き届かないんですよ。

SDGsは結局、エリートの人たちがその中身を理解すればいいという、エリート階級のものになってしまっているんです。日本では、俺たちはエコだぜって言うのはファッションで、余裕がある人がやるものなんですよ、エコは。実は余裕がない人の生活が一番エコの問題、環境問題によって影響を受けているのに、でも、まずファッションなんですよ。そこが大きな問題だと私は思っています。

だからもう少し掘り下げて、小学校とか幼稚園とか、それぞれひとりひとりに関わる、ひとりひとりのアクション、意識改善をしていくというのが重要なんじゃないかなと思うんです。でも日本はSDGsに関して今ちょっと空回りしているんですよね。たくさんの予算もとっているし、いろんな事を表面的にはやろうとしてるけど、本質的なSDGsの話が一切出てこなくて、例えば日本だけが結構がんばってやっているのに、どこかのアジアの国に行くと全くやってない。日本が認識しなければいけないのは、日本が対外的にもリーダーシップを取ろうと思えば、まず日本の中でしっかり本質的な取り組みをすることが重要だと思います。

ニールセン:そうですね。今、コロナを経験して世界のパワーバランスみたいなものも変わってきていて、それぞれのエゴが見えてきたと思います。
こういう、思いがけず世界が全く同じ状況を強いられる中、例えば飛行機も全く飛ばなくなるというシュールな状況で、みんなからエゴが出てきたけどもそれを乗り越えて、SDGsを含め、世界全体でより良くなっていくためにはどういうことが必要なんでしょうか?

コロナで見えた世界の「不都合な真実」

サコ:まず、コロナで気づいたことというのは、我々みんな同じ人間だったということですよね。格差社会も目に見える形でははっきりしてきたわけです。
そして、富の分配は、非常に不平等だということも明らかになった。それなのに、平等に分配しようとするのではなく、助けを必要とする人に、きちんと差し伸べられていないっていうことが問題なんですよね。不思議なことに、このコロナ禍に株価がどんどん上昇している。お金を持ってる人たちが、よりお金持ちになるという構造がつくられてるわけですね。格差があるというのが、コロナのおかげでよりはっきり見えました。結局、今までは目に見えないようにしてごまかしてたんですよね。

でもコロナによって、格差と、我々がこのままの経済のあり方でいろいろなことを進めていくことは、格差社会を容認して拡大していくことにつながるという重要な気づきを与えているのではないでしょうか。

例えば、警官によって黒人が殺されたっていうことも、黒人が問題なのではなく、格差というのはどこでもみんな共通で、強者と弱者の論理に変わっていった。(人種差別という格差は)世界においては本来はもう終わっているはずのことなのに、コロナがやってきたことで、ああ、まだ終わってなかったんだと私たちは気づいたんですよね。

一方で、コロナは白かろうがお金持ちだろうが、誰でも感染の可能性があるという事実は大きいですよね。これによって、人間は誰でも同じなんだよ、だからどこそこに住んでるからあなたはコロナにかからないっていう論理は通用しないことが示されたのです。

重要なのは、同じ人間同士、ほんとうの意味で同じスタートラインに立って、この世界の幸せを追求していくべきなんじゃないかと思います。

ニールセン:そうですね。いろいろなものが急に見えてきましたよね。本当は今までもそこにあったんでしょうけれど、見ないようにしていたのか、見えないようにされていたのか、それとも気づかなかったのか、ということなのでしょうね。

サコ:見えないようにしていた可能性が高いでしょうね。
とうとう限界を感じて出てきたということでしょう。

日本でもパチンコ屋を閉めろという話になりましたが、パチンコ屋を閉めるのはいいんだけど、なぜあのようにパチンコに依存している人たちが生まれているのかということがそもそも問題なんですよね。社会の中で、どこも行き場がない。あの人たちは、パチンコに行ってお金を儲けてるかっていったら儲けてはいないんですよ。でもそこが自分の居場所を与えてくれるんです。パチンコに行くと自分は人間として扱われる。だから、そこに足が向かうのですよね。その人たちにとって、その場所が奪われるのはイヤなことなのです。

それに、自粛しなさいってお店に休業要請はしているけど、でも店によって何人の命、生活がそこに関わってるかという問題があるので、すぐに対応できるかというと、そういうわけにもいかないんです。
(政府の)言ってることとやってることに矛盾がありすぎて、私たちがその対応に右往左往しなければならないのも大きな問題ですね。

今こそ、生きやすい社会に変える時

ニールセン:そうですね。私は個人事業主で、主に日本の人とデンマークの人をつなぐ仕事をしているので、直接会ってもらえないと仕事にならないところはあります。
今はオンラインでいろいろやり始めていて、こうやって今日サコさんとも対談できています。

デンマークは、国がいち早く補償金を出すことを決めてくれて、大企業だけでなく中小企業も個人事業主もフリーランスもみんな補償金が受け取れます。ちょうど昨日、個人事業者に関しても、8月まで補償金を支給することが決まって。

サコ:すごいね。

ニールセン:だから、多くの人がとてもほっとしてると思うんですよね。しかも、今ではほとんどの仕事が再開されて、レストランとかホテルとかみんな開いていて、たくさんの人たちが解雇されずに済んだし、たくさんの会社が潰れなくて済んだんですよね。

デンマークは国境封鎖もあったし、ロックダウンもあったけれども、外出禁止令はなかったので、よくよく考えると、あんまり以前と生活は変わっていないんです。だから社会のシステムや、普段から社会をどう考えてつくっておくかということは大事なんだと今回とても実感しました。

サコ:そうですね、それはとても重要なことですね。
世界を見てみると、国が真摯に対応できたかどうか、国を信用できるかどうかというところが問われたと思いますね。日本の場合は、言いはするけどなかなか動かない、なかなか実施までたどり着かないのが問題ですね。
いろんなものがやっと見えてきたので、まだマシかなと感じますけどね。

ニールセン:本当に信頼は大事だなと感じました。デンマークでも、国民からの信頼があったからこそ、いろいろな決断が早くできたんですよね。

コロナ前は今の政権の支持率は42%ぐらいだったんです。昨年、政権が中道右派から中道左派に変わって、42歳の歴代2人目の女性の首相です。人気はそこそこあるなと感じていたんですけど、コロナの対応がとても良かったので、4月の中旬の時点で、首相と政府の対応の満足度が85%くらいまであがったんです。こういう状況の中で支持率を上げられる、そう国民から評価される決断ができているのはすごいと思いますね。

サコ:やっぱりどう対応していくかをはっきり決められるのは大事です。
それがなかなかできないところもあるから、大きな問題になる。

ニールセン:おもしろいなと思ったのは、コロナを経てみて、今まですごく時間をかけて審議をしていたことが、実はもっと要点を早く相手に伝えて、必要な決断を早くしていくことは政治家にもできると証明された。これはこれからも活かしていきましょうという話を政治家自身がしていたんです。

サコ:おお、いいですね。

ニールセン:与党も野党も両方がそう言っていました。

サコ:とても前向きですね。政治は足の引っ張り合いで、決めるものも決められない、反対してる人も、ちゃんとした論理も持ってなかったり。それだったら最初から通して議論したらいいやん、とか。まあいろいろ大変ですよね(笑)。

ニールセン:デンマークの国会は、100年前に書かれた風刺画がそのまま残っていて、壁中にいっぱい描かれているんです。

サコ:ほう。おかしなこととか?

ニールセン:そうです。いかに政治家の決断が遅いかとか、いかに堂々巡りを繰り返しているかとか、選挙に勝つためにおいしいことばかり言っているかとか、そういう風刺画がたくさん描かれていて、100年前とあまり変わってないよねって、政治家に案内してもらうと彼ら自身がそう言ってます(笑)。

サコ:それは大事。自覚があるやん(笑)。

ニールセン:そうなんです。ちゃんと国会議事堂の中にも、市民が見てるよっていう意味で市民を代表する、例えば昔からの漁師とか商人とか農夫とか鍛冶屋とか、そういう人たちの大きい塑像が飾られていて、あなたたちは、彼らの代表なんですよっていうことを意識できるようになっていて、おもしろいんですよ。

サコ︙プレッシャーになるね(笑)。

ニールセン:そうなんです。しっかり見てるからねっていう(笑)。

サコ:なるほど。見られているぞっていうね(笑)。
日本は甘いんですよ。国民ががまんできてしまうから、政治はそれに助けられていると思うんです。でも、それが当たり前と思われること自体が問題だと思うので、これから声をあげる人が増えてくると、日本の政治も変わってくる可能性が高いと思いますね。

ニールセン:そうですね。
ちょうど昨年までデンマークに留学していた日本の若い女性4人が NO YOUTH NO JAPANっていう組織を立ち上げて、彼らはU30の人たちにもっと政治に興味を持ってもらうっていう活動に力を入れています。

サコ:それは大事ですね。

ニールセン:そうなんです。私も彼らと連携していろいろやっていきたいと思っています。

サコ:それは大事なことです。
若い人が興味を持ち始めると、政治も変わっていくんじゃないかなと思うんですね。若い人が言い始めると叩かれる傾向もあって、それで若い人の意見が消えていってしまうことがあるのが悲しいところではありますね。

ニールセンフォルケホイスコーレってご存知ですか?1844年にデンマークで始まった「人生の学校」って言われている教育機関があって、義務教育とか大学とかとは違う学校法人が運営していくものなんですけど、今、デンマーク全体では70校くらいあるんです。それが生まれた背景は、デンマークは1849年に初めての民主主義憲法ができて民主主義国家になったのですが、それ以前に欧州では絶対王政から民主主義に変わっていくのが時代の流れから読み取れたので、広く民衆に民主主義を啓蒙するための学校を作ったんです。今もそれが脈々と続いていて、いろいろなテーマの学校があるんですけど、私たちは、食を切り口にしたインターナショナルホイスコーレをつくろうと思っています。

サコ:いいですね。それは、国から支援が出るってことですか?

ニールセン:出ます。とてもよいシステムで、民主主義を啓蒙するという内容を網羅していれば、運営費の半分は国から出ます。そして、具体的な教え方などの内容に関しては、国は口を出さないんです。

サコ:とても素晴らしいですね。お金も余り出さないのに、口ばかり出されるというのも困りものだし(笑)。

ニールセン:フォルケホイスコーレが、なぜデンマークで180年近く経た今も続いているかというと、既存の義務教育や高校や大学といったところは、もうカリキュラムが決まっていて、過去の経験をもとに作られたカリキュラムに基づいて教えなければならないし、それを網羅しないと卒業できないんですけど、フォルケホイスコーレでは、大きなテーマだけは決まっているけれども、カチッとしたカリキュラムを決めなくていいので、今起こってることについて話し合える環境なんですよね。だから別に単位が取れるわけではないし、入学試験や卒業試験もなく、資格が取れるわけでもないんですけど、社会で今起きていることと今自分が置かれている環境と興味のあることを通して、自分と社会に向き合う場なんです。テーマとしては音楽系の学校もあれば演劇をやるところもあり、私たちのように食もあれば、哲学、スポーツなどいろいろです。

そういった、人生の中で一度立ち止まったりできる場所やそういった環境が日本では足りていないのかなと思うんですよね。日本では、子供の頃から突っ走らないといけないでしょう?早い人は小学校とか幼稚園から入試を受けて、ずっと休みなしで走り続けないといけない。

サコ:まったく休みないですよね。だから大学生になったら休むしかないんだよね。

ニールセン:そうですね。ようやく、日本でもフォルケホイスコーレのような学校をつくりたいという人も増えてきていて、そういう人たちと連携しはじめています。

サコ︙それは大事ですね。私たちの学生たちも、そういうところに研修に行かせられればいいなと思います。

ニールセン︙ぜひ来てもらいたいです!
ワークショップも日本で秋にやりたいと思ってたんですよ。まずは奈良と千葉で。
コロナで延期になりましたけど、来年の春にできたらいいなと思っています。
      
もし国が開けば、今年の晩秋には日本に行くと思うので、その時にお時間が合えばぜひ大学にもお邪魔させてください!

サコ:はい、ぜひ!今後もコラボできたらありがたいです。

ニールセン︙ありがとうございます!今日は楽しかったです。ありがとうございました!

**********************************

非常に示唆に富んだお話をしてくださった、サコさんと、今度はぜひ京都で、デンマークでお会いしたいと願っています。
貴重なお時間を頂きまして、ありがとうございました!

そして、この対談を読んでくださったみなさんも、ありがとうございます!ご意見、ご感想などもぜひお聞かせくださいね。


サポートいただけるなら、こんなに嬉しいことはありません!ありがとうございます♡