旗と点

 私たちの国から議会制が撤廃されたのは何十年も前のことだ。
 人口減少著しい地方議会は解散、自治体ごとの政治が推進され良くも悪くも地方分権が進んでいった。都市部に集中していた人口も年々数を減らし、地方自治政府の政策に惹かれ移住を決めた者から都市を離れていった。
 もはや、国家制度は瓦解しこの国は小国の寄り合いのようになってしまった。
 元首都であるこの都市もいまでは人口が50万人程度にまで激減した。
現在、中央政府は意味を成しておらずこの都市も自治政府によって統治されている。
 私が生まれる前に反政府ゲリラが各地で暴動をおこし、多くの命が失われた。県境の行き来はかなり制限され、地方へ向かうインフラも破壊活動によって意味をなさなくなった。
 反政府ゲリラは流入を続ける外国人もテロの標的に定め、各国はこの国の情勢を鑑みてテロ支援国家認定を下し、渡航を著しく制限した。その結果、物資や食料の流入は途絶え、食料自給率の低い都市部を中心に多くの餓死者が出た。
 そのころ、反政府ゲリラ内でも分裂が起こり差別主義思想を持つメンバーの弾圧が行われた。組織は弱体化し当時の警察機構によって弾圧、多くが解体された。
 政府は国際的な信頼回復に努めたが、そのころ世界情勢もかなりひっ迫しており状況は好転しなかった。
 餓死者は年々増え続け、食料が豊富な地方へと人口が分散した。そのころから地方自治体は独自の施策を打ち出し、中央政府は責任逃れのためほとんどの権利を地方自治政府に委任するようになった。
 その後歯止めのきかない人口の減少と優秀な地方自治政府の台頭により、中央政府は議会の解散を決めた。闘争に疲弊した人々は争いの火種を恐れたが、地方を中心に新たな軍閥も組織されはじめ、隣国にさらされる地域を制圧していった。そこでは厳しい貧富の差が生まれ、人口減少はさらに進んでいった。
 かつて外国籍をことごとく排除しようとした過激派は地方に流れ、首都はいくつかの地域を吸収し力を強め、一方で他地方からの人の行き来を厳しき制限した。
 そこではある種の階級制度がとられ、人がランク付けされていくようになってしまった。
 上級市民は政治への関与、参政権を持ち一般的な規定市民と呼ばれる人々への優位的立場を持つようになった。
 はじめはネット上並びに市街地でのデモ活動も盛んにおこなわれたが、武力の保有に関しても優位権は彼らにあった。デモは弾圧され、ネット上での議論も次第に上級市民に雇われた「サポーター」たちによって個人への攻撃が行われるようになり、徐々に人々は委縮し、声も上げなくなった。
 議会は廃止されたが「広場」というアゴラに上級市民が集い「代表」が決定事項を述べる場が設けられた。
 それを「政治」の形として規定市民に押し付け、その発表会の決定をこの政府は国民の総意と呼び上級国民も賛同した。
 「広場」は中心にシンボルを描いた旗が掲揚されておりその真下に発表を行う演台が据えられていた。
 規定市民はその演台を画面上でただ眺めるだけの存在だった。

 「こんなことは長く続かない」そう、規定市民の多くは思っていたそうだ。
 それは私の祖父母から両親にかけてまで、私たちの世代では「抵抗しても変わらない」「立ち上がることは異端である」「争いを孕むことは悪だ」と考える者が多く、私も自分の意見を持ち発言することは無意味であると考え育っていった。
 考えたところで立場は変わらず、立ち向かわなければ生活が脅かされることはない。ここはこの国で一番安全な場所なのだから。
 成人し、社会に出て働くようになった。最近では隣国と軍閥同士の争いが活発化しこの都市にも火種が飛んでくる恐れがあるというニュースもあった。だが、それもランチのそばと一緒に流し込み午後の業務に追われて消化される。
 私の境遇も、吸収された他地域の若者と比べればかなり良いものだ。この都市の住民の衣食住を担うため半ば強制労働じみたことをさせられるとも聞く。それも実際に見たわけでもないし、ネットや本、ニュースでも流れないただの都市伝説とすら思っている。安いものをただ安いものとして受け入れる。その裏の背景になど、関心を持つだけ自らの悩みの種を増やすだけだ。
 「考えることは悪」これは子どもの頃から刷り込まれてきた教訓のようなもので、疑問を持ち立ち上がったものなど見たことはないし、おかしな奴は大人になる前にどこかへ消えてしまった。彼らがどこへ行ったのかなんて、それこそ考えもしない。
 
 ある日の午後、「発表」があるので拝聴するようにとの通知が来た。「発表」の際、規定市民は液晶の前でその「発表」を聴かなければならない。
 上級国民は「広場」に集い、旗の立つ壇上に代表が上がる。
 「今から都市部に緊急事態条例を発令いたします。隣国との交戦も視野に入れ、戦争状態に入ることを意味します。ただし、首都にその戦火が来ないことを私の責任をもってお約束いたします」
 それだけ述べると代表はそこから去り、いつものように上級国民も解散していった。
 その日はある程度の仕事を片付けると、早々に帰路についた。会社からも当面は自宅待機になるという通知がなされた。
 帰宅途中多くの人がコンビニやスーパーなどに列をなしていたが至って静かなものだった。
 どこからも怒号は聞こえず、ヒステリックになっている人もいない。
 「戦争」というどこか非日常的な言葉だけが多くの人の頭の上をふわふわと浮いていた。
 家に帰り普段と同じように、ご飯を食べ、テレビを観て、風呂に入って寝た。
 何も変わらない日常が続くように思えた。
 
 揺れを感じて目を覚ますと、まだ外は暗いままだった。
 地震が来たのかと身構えたが、小さな揺れがおさまり、また小さな揺れが起こる。
 まるで家の近くで掘削工事でもしているように不規則にその揺れは続いた。カーテンを開け外をのぞくと何やら騒がしい。少し身なりを整え、外に出ると大勢の人が遠い山の向こうを見ていた。
 夕焼けのように赤く染まった山脈を人々はひそひそと何か話しながら見ていた。
 「山火事かしら?」「あっちに大きな工場があったそうだから」「大丈夫?」
 口にする心配も夜風にさらわれ、一人、また一人と家へ戻っていった。
 
 翌朝、いつもと同じように起き、テレビをつけると山の向こうの地域が隣国により空襲にあったといっていた。
 報道官は被害状況を淡々と話し、失われた命の数を何度も何度も口にした。
 職場からは自宅待機の命が出ており、することもない。おなかが減ってコンビニにいったが、昨日の「戦争」宣言の影響か食べ物はほとんどなかった。仕方ないからあまりもののお菓子と飲み物を買って帰った。しかし、その日を境にコンビニ・スーパーに食べ物が十分に行き渡ることはなくなった。
 その後の報道であの日爆撃されたのは首都へ向かう食料品の加工所並びにその生産施設だった、と知らされた。
 乏しい国家の食料は数日で底をついた。
 家にあるもので食いつなぐ日々も終わり、ついに水だけが命の綱となっていった。
 いまだ代表からの発表はなく、特段これといった補償もなかった。
 いったいいつまで続くのだろうと思いながら垂れ流されるテレビの情報を眺めていた。それによれば、敵国の潜水艦を沈めただの、食料基地奪還作戦が近々始まるだろうと話していた。
 ネット上では上級国民はすでに地方自治政府に助けを求め避難し、近々首都へ食料供給がなされるとのうわさも流れていた。一縷の希望を持ちながらその時まで私は生きているだろうかなどとも考えていた。
 水で腹をいっぱいにし、エネルギーを使わないためずっと布団に転がっていた。
 ひどく一日が長い。薄れゆく意識がきちんと戻って来られるように静かに息を吐き続けた。

 夕方、目が覚めるとやけに口が乾き、ふらふらキッチンへと足を向けて蛇口をひねると水は出なくなっていた。風呂場に行き、同じように蛇口をひねったがここもダメだった。
 ネットをみようとしたが通信回線が混雑しているのか読み込み画面からいっそう前に進まない。テレビはつきもしなかった。どうやら電気も止まっているらしい。
 その時、またあの揺れが訪れた。
 今度はずっと大きく、だんだんと近づいてくる。
 窓の外をそっと覗くと何も変わらない景色が広がっていた。しかし、誰かの叫び声がそこら中で響いていた。
 心臓が高鳴り、足元がふわふわしている。揺れはひどくなり、耳をふさいだ。
 やっとのことで風呂場までたどり着き、空っぽの浴槽へ身を埋める。風呂のふたをそっと閉め、目と耳を塞いだ。何も考えないように、ぎゅっと身体を丸めた。

気を失っていたのか、いつの間にか眠っていた。風呂のふたはいつの間にか外れていて、閉めたはずの扉も開いていた。
 部屋のものは散乱し、窓ガラスは粉々に割れていた。朝日は明るく照らしていたが、雲が多く午後には一雨きてもおかしくない、そんな陽気だった。私は呆然としながら、外に出た。
 嗅いだことのない異様な臭いが鼻腔に充満し、人の体の一部がそこかしこに巻き散らかされていた。
 軒先で泣きわめきながら、人だったものを抱き寄せる人もいた。
 あてどなく歩く人々は吸い寄せられるようにあの「広場」へと向かっていた。
 何を求めて人々はあそこへ向かうのだろう。
それは私自身もわかっていなかった。
 ただ、周りの人がどうやら「発表」があるようだと話していたから。あそこに行けば何か、誰かが教えてくれると聞いたから。
 何を?そんなことはわからない。ただ、あの「広場」に行けば、私の感じた恐怖と今見ている光景の答えがあるような気がした。

 「広場」には大勢の人が押し寄せていた。そのほとんどは規定市民で上級市民らしい人は誰一人見当たらない。ここは彼らの場所だというのに。
 壇上には「代表」とは違う人間が立っていた。こぎれいな背広を着て、ちょうどよく太っていた。私たちが感じていたもの、体験したことなどその人間からは感じられなかった。その男はそれを「代表」の言葉として、私たちに読み上げた。
 「戦争状態は終結いたしました。また、希望を持ち復興への道しるべとしましょう。皆様の絆を今こそ見せつけましょう」
 そう、読み上げた。目の前の電子機器の文字の羅列をただ読んで終わりとした。
 私たちの日々やあの時感じた恐怖、闇を進むような不安がまるでなかったことのように。

 どこからが、怒声が響いた。その声はやがて怒りとなり伝播していった。私も底知れぬ感情をこぶしで振り上げ、自らも聞いたことのないような声を発した。
 人々は「広場」の中心へと押し寄せた。そこに本当の怒りをぶつけるべき相手がいないことも承知で、壇上へと人波は押し寄せた。
 壇上を目がけた人々はやがて大きな黒い一つの点となった。

 旗が揺れている。 -了ー
  
 

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