1月1日、特別な日
1.新年の挨拶、そして曾祖父の”命日”
みなさん、おはようございます。
そしてあけましておめでとうございます。2024年が始まりました。
元日で祝日ではありますが、いつもと変わらない1日を皆さんで過ごし、家内安全、”一病”息災(※)で行きましょう。
※一つ何か”病”があった方が、気を引き締めていけると僕が勝手に思っていることです。その方が心に少しゆとりを持てるのかなと考えています。
さて1月1日ですが、僕にとっては思いのある日に当たります。
曾祖父が95歳で天国に旅立った日なのです。
2.昭和64年1月1日、いつもと違う元日だった
僕が産まれたときから、家族は7人いました。
曾祖父、祖父母、父、母、姉、そして僕です。当時4世代の家族でした。直近では地元のテレビ局に、4世代の家族としてインタビューを受けたことがあります。ビデオテープを保有していましたが、今はありません。
曾祖父は家の畑に出て作業をするくらい、当時は元気でした。ところが昭和63年に入った頃から循環器系の病気で体調を崩し、入退院を繰り返すようになりました。
そしてその年末、曾祖父は病院に入院し、初めて家族6人で年を越すことになりました。
昭和64年1月1日、いつもの元日とは違っていました。曇り空で南風が吹き、冬とは思えない位暖かい日でした。
いつも通り家族全員で正月料理を食べ、初詣に行く。いつも通りの正月を迎えていたとき、入院している病院から一本の電話が入りました。
「様態が悪化しているので、今すぐ病院に来てください」。
3.初めて経験する、”重い正月3が日”
病院に着くなり、祖父と父は病室に入り曾祖父の付き添いをし、僕を含め他の人たちは待合室て待機していました。
午後2時を過ぎた頃でしょうか、待合室に父が現れ、両腕で”バツ”印をしました。曾祖父が他界した知らせでした。
家族・親戚は泣き始め、僕は貧血気味だったのかのぼせてしまいました。
落ち着きついた後自宅に戻り、葬儀の準備が始まりました。
大人たちは葬儀の日取り、会場の準備(その当時は自宅で行いました)、香典返しや大輪の花などが持ち込まれ、翌日と翌々日に通夜、葬式、告別式を行いました。
正月用の料理は通夜振る舞いに代わり、いつもは親戚同士の新年会が葬儀になる、産まれて初めて人の死というものを知ったときでした。
火葬場に行く際、何とも言いようがなかったです。
4.曾祖父の死から1週間も経たないうちに、元号が
通夜が終わり、そろそろ初七日を迎えようとしたときでした。以前から体調を崩されていた昭和天皇が1月7日、午前6時30分ころ吹上御所にて危篤状態になられ、午前7時56分崩御あらせられたと宮内庁から発表があり、昭和が終わりました。
翌1月8日から「平成元年」がスタート、平成時代が30年続く礎になりました。
5.1月1日は、特別な日になった
それからは1月1日を迎えると、初詣と墓参りを一緒にするようになりました。現在では墓参りを年末に済ませることが多くなりましたが、それでも1月1日は特別な日として迎えるようになりました。
1月1日を迎えると、いつも見守っていてねと思います。
※年明け早々、暗い気持ちにさせてしまい申し訳ありませんでした。読んで気持ちが乗らないようでしたら、お詫びします。
本年もよろしくお願いしますと同時に、僕のnoteを訪れていただき、ありがとうございます。
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