寄り道をしてみようと思う。
人生の目標というものを強く実感したのがここ最近で、今まではっきりとした夢を持つことのなかった私にとっては人生の方向性が見えて来たような気がしてとても大きな一歩を踏み出すことができたと思っていた。
その目標というのが、
「他人の目を気にせずに自分らしく生きる」
そしてこの大きな目標を達成するためにはそこに辿り着くまでの小さな目標も大事になってくるのではないかと思った。
そう考えたときに、
自分らしさって何だろう?
という疑問が生まれてきた。中学生くらいまでは自分の好きな食べ物が何かと聞かれても何が答えなのか分からないくらい自分自身のことについて考えることがあまりなかったのでそもそも自分らしさというものが何なのか理解する必要があった。
自分らしさを知るために自分が普段考えていることや何かに触れたときに溢れてくる感情を言語化し理解することが必要ではないかと思い、日常生活でふと考えたことやある物事に触れたときに溢れてくる感情を観察して自分とはどういう人間なのだろうかということを理解しようとしている。
自分らしさを探しはじめて10ヶ月ほど経つが、
自分らしさ以前に自分って何だろう?
という疑問が浮かんでしまった。
私という人間はいったい何なのだろうという疑問から私はなぜ存在しているのかという疑問が生まれた。
私という人間が当たり前に存在しているものだと思っていたがいったいそれは本当なのだろうかと。
私という人間が存在しているのならば、自分らしさを追求するし、他人の目を気にせずに自分らしく生きることもできるのだろう。
しかし、もし私が存在しないならば私らしさなんてものも存在しないと思う。
私らしさが存在しないのならば他人の目を気にせずに私らしく生きることもできない。
「自分らしさ」でさえも一生をかけても答えが見つかるのかどうかと思っていたのだが、それよりもっと哲学的な疑問に足を踏み入れてしまったような気がする。
人生の目標を見つけ、そこに向かっていこうとすればするほどその目標から遠ざかっている気がする。
遠ざかっているというよりは寄り道をし過ぎている気がする。脇道を気にせずにまっすぐ道を進んでいけばもっと簡単に目的地に辿り着けるかもしれないが、考えることは好きなので寄り道をしてみようと思う。
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