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言葉を受け取ってくれるからこそ届けることができる


朝目が覚めると雨が降っていた。私は雨の日の香りがとても好きだ。まだ眠っていたい気持ちを引きずりながらベッドから抜け出す。食パンにジャムを塗る。いちごのいい匂いがする。お気に入りのマグカップにコーヒーを注ぐ。これまたいい香りがする。幸せな香りに包まれた幸せな朝だった。

身体と心の調子が良くなっていると感じる。大きな浮き沈みの中でたまたま調子のいい波に乗っているだけかもしれないが、それでも調子がいいことは嬉しい。調子が悪くないというだけでとても嬉しい。

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これは何度か書いていることだが、皐月まうさんの言葉の中に居場所を見つけることができたことも身体と心の調子が上向いている理由のひとつかもしれない。

居場所の存在はとても大きい。特に言葉の居場所は絶対にここに居てくれる安心感がある。突然いなくなったり、裏切ったりすることがないという安心感。もし仮に言葉がいなくなったり、裏切られたと思うことがあったとしてもそれは私が心変わりしてしまったということになるのだろう。

言葉の居場所のおかげで傷つかない無敵の心ができたわけではなくて、傷ついても休むために戻る場所ができた。

悩むことはあっても悩みすぎて自己否定に転ずる機会がかなり減った。自己否定に転じた後に戻る居場所ができたことで自己否定の時間がかなり減った、と言う方が適切かもしれない。

帰る場所があるからこそリスクがあるとしても遠くまで行けるものだ。

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午後になったがまだ雨は降り続いている。私は雨の音がとても好きだ。ポツポツでもザーザーでもいい。一定のリズムを刻む雨によって雑音が消され静かになるあの感覚がとても好きだ。少し雨が弱くなったからか風の音や鳥のさえずりも聞こえてきた。幸せな音に囲まれた幸せな午後だった。

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安心して言葉を届けられる場所がいくつかできた。これは精神衛生を保つにあたってとても大きな出来事だったと思う。

言葉の届け先を適切に選択できるようになったことも大きかったのかもしれない。脆くて壊れそうな言葉を攻撃的な人に届けても傷つくだけだと気付くことができた。それは脆くて壊れそうな言葉を大切に受け取ってくれる人に出会えたからなのかもしれない。その人たちの前では素直でいられるし、過度に自己否定をしなくてよくなった。

その人たちが絶対に肯定してくれるという安心感というよりは、私の言葉にどのような反応を示すかはその人たちが決めることだから否定される可能性があるとしても、それでも大切に受け取ってくれるからこそ余計な心配をしないで届けられるという安心感に近いのかもしれない。

言葉を受け取ってくれる安心があるからこそ言葉を届けることができる。思い込みだとしても言葉を受け取ってもらえないと悟ってしまうと言葉を届けることをやめてしまう。

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夜になると雨は止んでいた。星が綺麗だ。月が綺麗だ。あの淡い光が私は好きだ。夜に本を読む時は間接照明にお世話になる。間接照明の暖かい光が私は好きだ。だんだん眠たくなってくる。視界から光がなくなっていく。暗闇の中へと吸い込まれていく。

身体と心の調子は努力してどうにかなる部分と、努力してもどうにもならない部分に分かれているのだと思う。周りの人たちのおかげで努力してどうにかなる部分を支えてもらって、幸運なことに努力してもどうにもならない部分も良い状態である。

正直前者も後者も私ひとりの努力ではどうにもならないので運任せなところはあるのかもしれないが、私も誰かにとって安心して言葉を届けられる人になっているといいなと思うしこの部分に関してはお世話になっている人たちの言葉を大切に受け取れるように努力していきたい。




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