ヤングケアラーとアダルトチルドレン
今回は、ヤングケアラーとアダルトチルドレンに対する私の意見を述べている内容となっていて、それぞれについて説明した内容ではありません(^-^;
『アダルトチルドレン』という言葉は知っていたし、自分はきっとそうだとずっと前から思ってはいた。機能不全家族とか、HSPとか、当てはまるところが多いなぁとも。
でも、だからってそれを言い訳に生きてはいけない、特ににHSP気質に対しては、自分で克服していくことができるはず!と思っていて、『自分はHSPです!』と宣言している人たちがあまり好きではなかった。そうやって言い訳をして、周りに気を遣わせるつもりなの?とひねくれて捉えていた私。
そして、最近よく聞くようになった『ヤングケアラー』という言葉。
厚生労働省によると、一般に本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に担っている子どもとされている。
その実態の記事をたまたま読んだとき、私自身はヤングケアラーではなかったのだけれど、何だかすごく自分と重なる部分があり、なんでだろう?と考えた。
そこで、やはり自分の育った家庭環境の影響なのかな、との思いが自分の中に浮上する。
ヤングケアラーと重なる部分
人に頼るのが上手ではない
ぎりぎりまで自分で背負い込む
早い段階で助けを求めれない
社会に出る時など、親に相談できない
一方で、
他の人も何らかの事情を抱えて生きているのかもしれないと、細やかな気遣いができたり、優しさ、思いやり、懐が深いなどが特徴としてあるらしい。
なんでこんなにも重なる部分が多いのだろう?
私は親代わりはしてこなかったのに…。
そこで、改めて自分の過去を振り返ってみた。
私の子どものころは、厳格な父のもと、正しいことしか許されずいつも緊張していたし、母の愚痴を毎日毎日聞かされて受け止める自分。これって…。
アダルトチルドレンという言葉がぱっと浮かんだ。
自分の気持ちに気付けない
アダルトチルドレンは、子どものころに家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そして大人になった人たちを指すらしい。
親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、
誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、
よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人
これがまた該当するし、どのような時の自分かもすぐにイメージできる。参考までに↓
数年前に、カウンセリングを受けた時にカウンセラーから『それはあなたの気持ちじゃないよね?本当うのあなたの気持ちって何?』と言われ、きょとんとしたことがある。
今私が言ったことは、私の気持ちじゃないの??
その時は全く理解できなかったけど…。そっか、自分の感情が感じれなくなっていたんだ。
確かに、いつも他人軸で生きてきたもんな…。
それにも最近気づいたんだけど。
自分の生きる術
ヤングケアラーもアダルトチルドレンも、子ども時代の家庭環境で身に付けた、自分の生きる術だと思う。
私の場合は、いつもどこかに違和感を抱きながら生きてきた。
本当の自分って?これって自分のしたいことだっけ?また顔色伺ってるな。本当はこんな言葉を伝えたいわけではないのにな…。
気遣いばかりで疲れちゃうし、自分がどんな人間なのか分からない、生きづらい…。
生きづらさはHSPから来ていると思っていたけど、アダルトチルドレンの方だった。
私はこうやって今まで生きてきたんだ。
私が身に付けた生きる術。ずいぶん歪んでいた。
これからの生きる術について
今日、ある法人の10代の子どもを社会とつなげる新規事業の説明会に参加した時、代表が採用基準として、『心の不安定さがある人は採用しない』とおっしゃっていた。芯が固まっていない人間に、他人のサポートは難しいと。
その言葉を聞いたとき、私は不登校の子どもと親のサポートをしたいと考えていたけど、どうも踏み出せない理由がはっきりした気がして、まずは自分をしっかり持つことが先だと自覚させてもらった。
感謝!!
そことしっかりと向き合い、自分のあるべき姿を取り戻したときに、改めて居場所づくりについて考えてみようと思った一日でした。
ここまで目を通していただき、ありがとうございました!!(^ω^)
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