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『心』について

「心とは何か」

そう問われたら、『つながり』である、と答えることにしている。
理由は特にはないが、直感的に、腑には落ちている。

つながりがあるということは、何かと何かがあるということ。
なぜつながっているかというと、そこにエネルギーも行き来があるから。

何かと何かとのつながりがあり、エネルギーの行き来があれば、心があるのか。
そうであっても良いが、それだけではしっくりこない感覚がある。

何かが足りない。
何を足すか。

そう、『命』だ。
『命』のつながりがあるところに心がある。

ただここで言う、『命』の言語化はまだ難しい。
強いて言えば、エネルギーを有機的な作用に変換できるかどうか、か。
それだけでは説明しきれないものもある。
魂、願い、想い、そういったエネルギーも乗った命。
そのことを指しているようにも捉えているからだ。
うまく言えない、この曖昧な答えしか出ない問いの回答を出すのは、まだ置いておくとしよう。

「心は体のどこにあるのか」

子どものころから感覚的に持っていた、この問いの回答はかなり自分にとって整理されている。
それは、身體すべてに存在し、そのもの自体もまた心である、と考えている。
また、心は身體の中だけではないところにも現存しているとも思っている。
心身とは、全てが一つの個体領域(揺れの境界・結界)を包むことであり
身心とは、一つの個体領域から全体へ展開する(つながる)こととも捉えているからだ。

心の定義はどうあっても良いと思っている。
森羅万象においての、千差万別があることがあたりまえのように。

大切なのは自分の中にある言葉をどう感じ、どう捉え、どう他に影響しているかを観測することだと思っている。

今取り組んでいるスポーツも、森も、『心』がキーワードと挙げれることは珍しくない。
強い心にも、心の開放にもあまり興味はないが、興味がある人の力にはなりたいと思っている。
だからこそ、そこに携わるものとして、思案、思考、思索、思慮することを持続していこう。

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