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最近、ハマっている、心を豊かにすることが、最善の生存戦略なのではないか?という、考え。

インターネット上の身バレという恐怖は、社会を強張らせている。

インターネット上で、身バレがコワい、と考えるのは、身バレすると社会から、弾圧されると考えているからである。

例えば、知らない人から、住所当てに、危険物が届いたり、ストーカーに遭ったり、殺されたり、脅迫されたりすると考えるからである。

あるいは、所属する社会、例えば、学校とか、会社が、ネット上での活動について、監視して、あれこれ口出ししてくるかも知れない。

住所がバレてコワい社会は、非常に、生きづらいと思う。

本当は、インターネットで、自由に、街の写真を投稿したり、家の写真を投稿したり、したいはずだ。

だのに、住所がバレるかも知れないからコワいだとか、身バレするのがコワいとなってしまうのは、やはり、心の課題だと思われる。

安易に、ネットに写真をあげてはならない、動画をあげてはならないというが、悪用する人がいなくなればいい話だ。

他人を自分の意のままにしたい、コントロールしたい、自分のものにしたいという人が多すぎるのだ。

黒い心をどうにかしない限り、ずっと、苦しい儘で、幸せな未来は来ないのではないだろうか、と思う。

許す心があれば、ネット上での発言云々についても、お互いに認め合い、上手くやっていけるのではないだろうか。

心が真っ黒な人が、多いのだろうと思う。

親からあまり愛を受けられなかったとか、いじめられてきたとか、貧困で、苦しんだりしていて、他にも、いろんな理由で、心に傷があるのかも知れない。

真っ黒な心を蔑ろにすると、金持ちになっても、苦しい儘だ。

だから、大事なのは、人の悪口を言わない事、人の嫌がることを言わない事、他人を傷つけない事なのだ。

綺麗ごとにきこえるだろうが、大事なことだ。

ネットの世界で、心ないコメントをしたり、批判的な事を言ってしまっている人が多い。

誰が幸せになるのだろうか。

他人を意のままにコントロールしたいだけなのではないだろうか。

あるいは、助けを求めているのかも知れない。

だからと言って、ネットを規制することは正解ではない。

もっと別の、心と貧困の問題だと思う。

貧乏でも楽しく生きられる心が大事なのではないだろうか。

心に余裕がないと、感情に任せて、思ってもいないことを書いてしまったりするものだ。

結果、いい合いになってしまい、修復不可能になってしまうのだ。

ダメだ、誰も幸せにはなれない。

思いとどまって、考えるのが大事なのだ。

あと、厭なことを言われても許すのも大事だ。

多少、酷いことをされても仕方ないと、許すことが大事だ。

言い争いは、何も生み出さない、お互いが傷つけあって、心に傷を負うだけだ。

許す心は、自分が失敗した時に、いい運命として帰ってくる。

失敗しても、人が離れていかないのだ。

人と人との繋がりは、勝者敗者だけではないからだ。

言い争いや、他人の傷つくことばかりしていると、自分が、危うくなった時に、誰も助けてくれなくなるのだ。

明日は我が身なのである。

今、上手く行っていても、明日ダメになるかも知れないし、いつダメになるかわからない。

今はダメでも、いつ、どこで、花が開くかわからない。

勿論、最善を尽くすだとか、対策をし続けるだとかの、最低限の行いは必要だが、世の中はうつろうものなので、他者を受け入れて生きていくしかないのである。

いいことをする、いいひとであったとしても、自分にかえってくるものはないだとか、きれいごとだというのは、競争するからだ。

一位にならないとダメだとか、成績優秀でないとダメだとか、金をたくさん稼いでハイスペックでないとダメだとか、いい会社に就職しないとダメだといった、社会の有り様は、競争であり、必ず、敗北者が生まれるようにできている。

敗北者は、社会から救済されることもない儘、苦しい生活を強いられる。

しかし、いつ敗北者が、別の道で、勝者になるかなんてわからないし、どこで、花が開くかもわからない。

勝者がいつ、事故で、半身不随になったり、病気で死んでしまったり、不自由になるかもわからないし、勝ち続けられるとも限らない。

とはいえ、敗北者を助ける措置はほとんどない。

結果、心を貧しくなっていく。

戦うことに執着してはならないのだ。

稼いでいる方が勝ちみたいなのがあるから、心が貧しくなって貧困になる。

貧乏でも、生きていれば楽しいことはある。

歌は歌えるし、絵も描けるし、文章も書ける、散歩もできるし、綺麗な景色だってみれる。

社会の競争と金持ちがえらいという、価値観にとらわれて、苦しめられているだけなのだ。

誰もが、勝者になれるわけではないが、幸せにはなれる。

人と仲良くするのに、競争は必要ない。

不快にさせなければ、いいのだ。

他人の厭なことはしない、傷つけるようなことはしないというのが、凄く大事なのではないだろうか。



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