ゆめたこ

とりとめなく書くとは完成されたナチュラルメイクと同義。

ゆめたこ

とりとめなく書くとは完成されたナチュラルメイクと同義。

最近の記事

アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』を読む。

ほら貝、つめた貝、日の出貝、牡蠣、たこぶね。これらの貝によせて、一人の女性の思索がつづられる。 新潮文庫の裏表紙には「現代女性必読の書」とあるが、男女の役割分担の前提が崩れかけている現在、さまざまなリミット、メリット、デメリット、の洪水に心を押しつぶされそうな人であれば、誰でも一度は読んでみてほしい本だ。 「自分自身を失わずにいられる」とはどういうことか? 経済的自立、精神的自立、強い意志、孤独に耐える心……これらは間違いではないが、まったくの正解というわけでもない。

    • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯を読んでいます。その3

      今回は『モンテ・クリスト伯』における「格好良いおじさま」について書きたいと思う。人物の選定については異論は認める。 1.信念と行動の聖職者。にして政治犯。ファリア神父 イフ城には「狂人」と呼ばれる囚人がいた。 当時バラバラな状態であったイタリアを、大帝国として統一させたいとの願いをもっていた彼は、その活動の果てに政治犯として投獄されてしまったのだった。 「神父」というと、穏やかで争いを好まず、行動よりは沈思黙考を選ぶイメージを抱いてしまう(歴史上のものすごい聖職者のエピ

      • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。その2

        先に敵役のことを色々書いておいて主人公のエドモン・ダンテスを後回しにするのはいかがなものか。 と思うけれども、1巻前半あたりのエドモン・ダンテス氏、小説の登場人物としてはあまり面白みがない。と個人的には思う。 いや、とても良い奴なのはわかる。病身の父親をいたわる姿とか、本当に良い息子なんだろうと思う。ダングラールとダンテスと、どちらと同僚になりたいかといえば圧倒的にダンテス。 なのだが。 「屈託のない」という言葉は、だいたいは褒め言葉として使われる。 エドモン・ダンテスは

        • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。

          岩波文庫の『モンテ・クリスト伯』を読んでから早云年、新訳が平凡社ライブラリーから出ているぞ。やったね!ということで、平凡社ライブラリー版『モンテ・クリスト伯』の感想を書こうと思いました。前置き終わり。 『モンテ・クリスト伯』は無実ながら投獄されたエドモン・ダンテスの復讐譚である。と同時に、エドモン・ダンテスを妬み、憎み、自己保身のために陥れたやつらが、身を滅ぼす物語でもある。 陰謀渦巻くものの『モンテ・クリスト伯』には湿っぽさはほとんどない。しかし悪人の凋落っぷりにとにか

        アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈物』を読む。

        • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯を読んでいます。その3

        • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。その2

        • 平凡社ライブラリー【新訳】モンテ・クリスト伯 を読んでいます。

          人間の価値を決めるものは

          人間の価値とはそもそもなんぞ?ですが、これは各々の胸にポッと浮かんだこと、でよいのではないでしょうか。適当。 これはちょっと詐欺タイトルかもしれない。 私が書きたいのは、人間の価値を決めるものは「何か(何のパラメータなのか)」という話ではない。価値を決めるものは「誰か」というニュアンスだからだ。でも、周りでは「何か」について書かれたり話したりされていることが多いように思う。 ジャッジされることを恐れるのに、ジャッジのルールを知りたがる。はなから見ないようにすれば知らずに済

          人間の価値を決めるものは

          読書妄想文 清少納言『枕草子』 七月ばかり……

          暑い夜が続く。このように暑いと読み返したくなる枕草子の章段が、ある。 七月ばかり、から始まるその章段は女の一人寝の姿を描き出す。妙に映像的な印象を受けるのは、空の月、板敷きの間の端近く、女の寝姿、となめらかに移動する視点を感じるからだろうか。 一人寝とは書いたが、恋人を待ちぼうけしての不貞寝ではない。夏の夜の暑さで、逢瀬の後の汗がまだ残っているような、一人寝である。じとじとと思い悩む様子もなく、腰紐が解けたままの姿で眠りについている。 そこに、一人の男が現れる。この男は女

          読書妄想文 清少納言『枕草子』 七月ばかり……

          読書妄想文 石垣りん『石垣りん詩集』

          石垣りんの詩は、国語便覧で初めて読んだのだった。『くらし』という詩だった。 食わずには生きてゆけない。 から始まる、その詩。 石垣りんの言葉は、ひどくぶしつけに感じられた。嫌な感覚ではなかったものの、黒くごろっとしたかたまりが「私のなかにもある」ことを、突き付けられたように感じた。ロマンチックできれいなものだけ見ていたい子供だった私は「なんだか怖いな」と思うばかりで、それから彼女の詩集を手に取るなどなく、学生時代を終えてしまった。 『くらし』を読むと「あのときのわたし」

          読書妄想文 石垣りん『石垣りん詩集』

          読書妄想文 夏目漱石『こゝろ』

          夏目漱石『こゝろ』との出会いは、高校の教科書だったと思う。 当時の感想としては「なんかムカつくわ。先生」だった。恋敵のKにさんざん人格否定のようなことをしておきながら、自分が被害者のようなツラをしてグチグチ悩みやがって……と。 だって、結局、この人何も他の人の気持ちを考えていないんですよ。自分が辛い辛いばかりで、奥さんへの思いだって(作中で書かれている分では)一方的なものばかり。 奥さんにつらい思いさせてんじゃないよ!男には自分の世界がある~とか浸ってんじゃないよ!

          読書妄想文 夏目漱石『こゝろ』

          「○○らしさ」で苦しむくらいなら

          「○○らしさ」が彼、彼女の呪縛となっているならば、私はそれを引きちぎって丸めてポイしてしまいたい。 「男の中の男」「女の中の女」みたいな人、ネットに散見される美しいモデルケースに完璧にあてはまる人生を送れる人って、どれくらいいるのだろう。他者の評価と自分の評価でまた違うだろうし、能力パラメータが男寄りなら優れていて、女寄りなら劣っているということもない。逆もそうだ。さらに言うと能力の有無イコール個人の尊厳をけなしてよい理由にはならない。 幼少期、私は大体男の子のような服装

          「○○らしさ」で苦しむくらいなら

          つい自虐しちゃうあなたへ。私もだけど。

          自分のことを語るとき、自虐ネタで話をつなぐ人たちがいる。彼、彼女はにこやかなようでいて、ちょっとうつむくようにして、そのような発言をする。 それが「謙遜」ということかもしれないが、聞いていてちょっとつらくなってしまうことがある。私が彼、彼女をそんな人間だと思っていないときは特に。 「自虐」は本人の心を守る盾になる。けれども同時に、他人からの気持ちを遮断することにもなる。自虐される側になってみると、かなり一方的なシャットダウンだから、なかなかつらいものがある。 かくいう私

          つい自虐しちゃうあなたへ。私もだけど。

          何物でもない日々の記録と、思い出と。

          私は数年前から日記をつけている。note記事とは違い箇条書きだが、ちびちびと進めて、三年連用日記を一冊使い切った。 きっかけは祖父の死だった。 地元を離れて遠方に住んでいたので、死に目に会えないのは仕方がなかった。そう、仕方なかったのだ。 連絡を受けたその日、会社から走って帰宅し、新幹線に飛び乗り、まだ着かないかまだなのかと急かす気持ちで座っていた。今更急いだってどうしようもない、とはそのときまったく思わなかった。と思う。当時の記憶はあまり無い。涙をこらえるのに一生懸命

          何物でもない日々の記録と、思い出と。

          ひとり歩く夏の夜

           一日中暑い日が続いている。それでも夜は太陽の熱がないだけましで、目的なしのぶらぶら歩きをする気分になれる。  少し重めの花の香りをつける。あまり拡散しない香り。私の周りに沈んだ甘い匂いがただよう。自分のための香りだから、これくらいが良いのだ。  ドアを開けると、熟しすぎた桃に似た色の月が見えた。  湿気があるので、快適とは言えない。少し歩くとうっすら汗ばむのがわかる。風もなくまといつくような空気には、まだ昼間の名残がある。襟をぱたぱた動かすと、花の匂いがわずかにこぼれ

          ひとり歩く夏の夜

          バーネット『小公子』を読む。愛されることと愛すること。

           私は幼少のころにも『小公子』を読んだことがあります。他人と仲良くなるのが苦手な子供だったので、会う人皆に愛される、主人公セドリックがとてもうらやましかったように思います。  物語は、アメリカ暮らしの少年セドリックが、イギリス貴族の跡取りだと知らされ……というところから始まります。  セドリックは美しく聡明、素直な子どもで、老若男女問わず友人になってしまうような優しい心の持ち主でした。 一方イギリス貴族の祖父、ドリンコート伯爵は意固地で傲慢、癇癪持ちで冷たい心の持ち主で

          バーネット『小公子』を読む。愛されることと愛すること。

          私と一緒に働いているあなたたちへ

           突然ですが、いつもありがとう。  私がやっていないこと、忘れていることを見つけて片づけてくれるから、私は自分なりの精一杯で、仕事ができている。  そりゃ私だって、他人のうっかりをフォローしたり、手の届かないところをお手伝いすることがある。「お互いさまだから、お礼を言うほどのことでもないよ」と言われるかもしれない。  それでも、ありがとうを言いたい。  無理しない程度の「お互いさま」が自然にできるのって、とても貴重なことだと思う。  忙しさでいっぱいいっぱいになった

          私と一緒に働いているあなたたちへ

          森茉莉『ほんものの贅沢』を読む。モノと心の付き合い方を考えた。

           森茉莉は文豪森鴎外の娘であり、いわゆるお嬢様育ちです。  が、一回目の結婚後色々ありまして、彼女が筆で食べていく頃には、御邸どころか安アパート暮らしでした。そこで変に所帯じみたり行き過ぎた清貧思想に陥らないところが森茉莉のすごいところです。  森茉莉は「贋もの贅沢」の存在と、贅沢を嫌悪する精神の古臭さをバッサリ切り捨てています。  曰く、モノの値段ではなく、精神の余裕がもたらす状態。それが『ほんものの贅沢』なのです。  たとえ価値あるモノを所有したとしても、お金を使

          森茉莉『ほんものの贅沢』を読む。モノと心の付き合い方を考えた。

          インドア人間はイマジナリーサマーを愛す。それでも晴れた空は気持ちがいい。

           暑いのは苦手である。ついでに言うと、夏場の行楽行事は大体スルーしてきた、引きこもり気味のインドア人間なのである。  クーラーの効いた部屋で淹れ立てのお茶(熱い)とおいしいお菓子をいただき、読みかけの文庫本をめくる、この贅沢な時間……。自然に背いた怠惰な生物として、背徳感をおぼえつつも、とてもよい気分で堕落している。  私の好きな小説に、樋口一葉の『たけくらべ』がある。詳細は別の機会に語るとして、主人公の少女が夕化粧をする描写がある。  ……吹風すゞしき夏の夕ぐれ、ひる

          インドア人間はイマジナリーサマーを愛す。それでも晴れた空は気持ちがいい。