つい自虐しちゃうあなたへ。私もだけど。
自分のことを語るとき、自虐ネタで話をつなぐ人たちがいる。彼、彼女はにこやかなようでいて、ちょっとうつむくようにして、そのような発言をする。
それが「謙遜」ということかもしれないが、聞いていてちょっとつらくなってしまうことがある。私が彼、彼女をそんな人間だと思っていないときは特に。
「自虐」は本人の心を守る盾になる。けれども同時に、他人からの気持ちを遮断することにもなる。自虐される側になってみると、かなり一方的なシャットダウンだから、なかなかつらいものがある。
かくいう私も、自分を下げた物言いをしてしまうことが多々ある。気づいたた時には遅く、相手がチラッと困った顔を見せることがある。困らせてしまったことに気が付いて、軽くパニック状態になって、さらに自虐してしまい……の負のループにはまることもしばしばある。
なんでそうなるのかと言えば、自分に自信がないからだ。周りの人が自分より優れていて、私が何もできない落ちこぼれだという意識が、大人になった今も抜けていないからだ。
だから以下は、まだ完全に自分を認め切れていない人間が、勇気を出してみた話として受け取ってほしい。
ある日の飲み会の席で、何かの話のついでに、私のことを、本当にちょっとしたことだけれども、褒めてもらったことがあった。
「そんなことない……」と、私はいつものように自虐を始めた。「私なんかが」とも口に出してしまった。
彼らの一人と目が合った瞬間、私ははっとした。
彼らはわざわざ私に声をかけて、飲みの席に誘ってくれたのだった。そして楽しく話し、飲み食いし、愚痴も言いつつ、一緒に過ごしてくれたのだ。
恥ずかしながら、自分を守ることでいっぱいいっぱいだった私は、そのことをすっかり忘れていた。
そんな彼らを、自分の都合だけでシャットアウトしてしまってよいのだろうか?
私は「うれしい」と声に出してみた。正直、滝壺に紐なしバンジージャンプするくらい怖かった(やったことないけど)。
場の空気が明るくなるのがわかった。私も、心がすっきりと軽くなった。達成感のようなものも、あったのかもしれない。
お酒の力もあるかもしれないけれども、それからの飲み会は本当に楽しかった。たくさん飲んで、食べた。気分が上がっていた私は、普段感じていた感謝の気持ちを、さりげなく伝えたりした。相手はニコニコ笑って「ありがとう」と言ってくれた。
褒められたこともうれしかったけど、気持ちを素直に受け取ってもらえることが、こんなにもうれしいとは知らなかった。
皆、時間が過ぎるのを惜しむように、閉店まで話し続けた。レシートの長さがとんでもないことになっていて、それを見てげらげら笑ったりした。
あれから私の自虐癖が治ったかというと、先述の通りまだまだへたれた自分が顔を出してくる。
あのときのような形での飲み会は、しばらくできないだろう。でも、また一緒に乾杯したいと思う。だって、すごく楽しかったから。
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