M-1という純情と狂気
とある学会に向かおうとするときに,「どの本をもっていこうかな」と思って手にした本のうちの1冊が,この本でした。
『笑い神 M-1、その純情と狂気』(文藝春秋,2022年)です。
面白くて,出張の行き道程とその日に寝るまでの間に読んでしまいました。これまでよく観てきたM-1(2010年まで)の裏側の様子を描いた書籍です。
でも,この本を読んでいて痛感したのは,このことです。
競技の種類
M-1が始まると,「M-1で勝つためにはどうしたらいいか」を考えるようになっていきます。それはそうですよね。優勝すれば(決勝に出場してインパクトを残せば)ほぼ確実に,その後の成功が約束されるのですから。
M-1決勝の漫才演技時間は,2001年と2002年が5分,2003年から4分です。テレビでしか漫才を観ない人にとってはこれが普通かもしれませんが,劇場で観たことがあれば,M-1の漫才はずいぶん短い時間で終わってしまう印象です。まさに「短距離走」であり,劇場で老若男女のお客さんたちにまんべんなくウケる中距離走・長距離走に慣れてしまったコンビにとっては,M-1で勝ち上がる漫才という短距離走となると,競技の種類が違ってきてしまいます。
過去のM-1
いまではNetflixで,第1回から第10回までのM-1グランプリ決勝を観ることができます。過去のM-1をずっと観たことがあるのですが,リアルタイムで観ていたときとはまた違った印象を受けます。いまよくテレビで見かける人たちが,本当に若い頃に登場してきます。やっぱり,ちゃんと芸能界で生き残っているんだな,とも思えてきますね。
そして,きっとこの本を読んでからもう一度,過去のM-1グランプリを読んでいくと,きっとまた違った印象を抱きそうです。
測定がスタイルを変える
M-1グランプリも,漫才の「評価」です。しかも,決勝ではそれぞれが活躍する人たちが漫才を評価します。審査は打合せもなさそうですし,ポリシーとしては本当にガチンコでやっていそうです。だからこそ,これだけ毎年盛り上がる大会になっているのでしょう。
そして,多くの出場者が「M-1用」にネタを練り上げてくることになります。すると,いくつかの特徴がネタの中に要素として組み込まれていきます。たとえば,できるだけ短い時間で多くの笑えるポイントを組み込むこと,どこかにそれまでにはない「新しさ」があること,などです。
本の中にも書かれていたのですが,2008年に優勝したNON STYLEは,笑いを重複させるためにボケの中に自分を叩きながら「自虐ネタ」を入れて笑いを増幅させるという工夫をしています。こういう工夫を思いつくのが,勝ち残るために必要なのでしょうね。
「M-1 2008のネタを12年ぶりにやってみた「人命救助」」を見ると,2008年のネタがどれだけ高速だったかも,舞台だとどれくらい時間に余裕があるかもよくわかります。
スピードだけでは勝ち残っても高い順位には届きません。優勝するには何かしら,審査員を納得させる「上手さ」や「斬新さ」を追い求めないといけないので,それを掴むまでは悩むのでしょうね。
こちらの動画『2008年M-1優勝ネタ「ホラー」』では,ネタの後にM-1のネタ作りの様子が語られています。
アイデンティティ
この本を読むと,人生をかけて臨んでいることもあり,それぞれが自分のアイデンティティを達成しようともがいている様子が浮かび上がってきます。そういう様子が垣間見られるのも,M-1の楽しみの一つなのでしょう。
……しかし,それにしても,笑い飯の2人の関係性には驚きましたけどね(こっちのほうがこの本のメインじゃないのか!)。
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