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めちゃくちゃ豊かな生き方

あ〜、ついに書いてしまった・・・。これがぼくの望みであり、逆マトリックスな生き方のススメなのであります(笑)

この間、そのタイトルでブログを1つ投稿したのですが、今回はもう少しスケールアップして、このめちゃくちゃ豊かな生き方について書いていきたいと思います。

前回の「逆マトリックスな生き方」には、自分が精神、魂などひとの目には視えない霊的なものとして認識し直し、そして、いまを生きるこの現実に自分の体にある感覚という超高性能なセンサーを使って十分堪能して生きていく、そんなススメを書いたワケなんですけども、今回はその自分だけではなく、その霊的自分のまわりにある、もっと壮大な霊的世界を意識して生きてみませんか?そんなイザナイに今回はなっているワケであります(笑)

ぼくの「学校や社会で絶対教えられない本当のこと」にも何回かにわたって書かせて頂きましたが、ぼくらの生きるこの世についての成り立ちと意味を書かせて頂きましたが、それらをもう一度ここで簡単に書かせて頂きますね。

ぼくらの生きるこの宇宙は、ぼくらがすべて生命のスープのような、たった1つのエネルギー状態であった時、自分とはなにか?それを自分の体など、物質化することにより認識する実験がはじまりました・・・

それが俗に言う(俗に言わないか・笑)ビッグバンなのであります。

こう1つのエネルギーがバーン!と爆発し、物質化し、いまだに膨張し、かつ、進化し続けている・・・

そして、最初1つであったそのエネルギーは、そのすべてに物質化した自分から、もとの自分は一体どんなものだったのか?それを認識する作業を今日もこうしてしているワケなのであります。

ということは、これもぼくの前のブログでは書きましたが、日本の神道に非常に近い世界と相成るワケなのであります。

すべてのものに、神が宿る。

凄くないですか!?

ぼくは無神論者なので、神道の差金でもなんでもありませんが、ぼくが神道がいいなと思ってしまうのはこのためで、神道はこの宇宙の成り立ちをこの1文で表現してしまっているのであります。

しかも、神道が信奉?しているのは、鏡。

神社には必ずあなたが拝む先、前には鏡が存在しますよね?

これは何を意味しているかというと、あなたが宇宙、神であり、この世のすべてである、ということを表現しているのです。

これはぼくのまるっきり推測であり、思い込みなのですが、ぼくは神道のこれらを見て、これは真理ではないかと思っているのですが、ぼくらの生きるこの宇宙はこのようなかたちで成り立っているワケであります。

となると、1つぶの石であったり、例えば、それは水1滴であったり、無機物においてもその本質においては、すべて霊的なものとしてこの世に存在しているわけで、ぼくらと同等なのであります。

実際、それらはぼくらのように物を見たり、感じたりすることはないのかも知れませんが、すべてに存在理由があり、そこから自分たちの立場から、自分たちの最初であった、神を想像(認識)しているのであります。

もちろん、ぼくらの生きるこの地球に生きる生物など、すべて然りで、すべてはなにかの理由で存在し、みんな神の方向を見ているのであります。

そして、これはぼくは実感したことがないので、あまり、確かなことは言えないのですが、この世にはぼくらの目には視えない存在というものが多く存在するとも思うのですね。

それは例えば、やはり、神や天使、妖怪はどうかはわかりませんが、悪魔的なものも存在するでしょうし、逆を言えば、ぼくらの目には視えない存在の方がたくさんいるのかも知れない(笑)

この宇宙を実際機械のごとく正確に動かしている力は確実に存在してるし、ぼくらの生きる地球だってこうして毎日生きている・・・

それらを正確に動かすには、これまた、その中にいろんな力が存在し、もしかしたら、それらは日本人が昔から感じていた、日本や地球や宇宙を創った神様達なのかも知れない・・・

ようするに、ぼくらはもともとすべてが霊的存在だったわけで、それはいまも然りなわけで、だけども中には物資化を選ばないものも存在した・・・

この世にはそれらを運用するために動いてくれている、目には視えない存在というものをそれらに感じてしまうワケなのであります。

だって、それらを神と表現しなくても、そこにはとてつもない力が確実に存在しているのですから。

そうすると、このぼくらの生きる物質化した宇宙には、ぼくらのように目に視える存在の他にも、とてつもない数の目には視えない存在がとてつもなく存在することになると想像できるのであります。

倍どころではなく、もしかしたら、霊的なスープに包まれているのかも知れない。

このぼくらの生きる物質化された世界は、実はとてつもなく狭いものだったりするのであります。

だって、それは物質で限られた世界ですから。

霊(神)を物質に封じ込めた(閉じ込めた)、それぞれを各自が生きている世界なのですから。

しかし、ふとその自分の思考を研ぎ澄ませてこの世を視てみると、実はぼくらはとてつもない霊的空間に生かされているということを認識するわけであります。

豊かどころか、生命の躍動に浸りきっているというか、ぼくらのまわりにはこのようにとてつもない霊的空間や存在がひしめき合っている状態を認識するに至るのであります。

これはぼくの完全なる妄想の世界なのかも知れませんが(笑)、こう考えると、宇宙をこう捉えると、そこにはとんでもない大きくて豊かなものを感ずるワケなのであります。

その力は人間の発明したお金などでは到底買えない、人間の開発した技術やその力では到底及ばないほどのとてつもなく大きな力が存在する・・・

もちろん、その中にはいろんな神様もいるワケで、神に近い意識を持ちつつもぼくらのように肉体を持った存在も多くいるでしょう。

多様性の極みですね(笑)

ここにはありとあらゆる、神が想像でき得る限りの「すべて」が存在しているワケなのであります。

しかも、そこには必ずといっていいほど、というか、必ず、霊的なエネルギーを宿している・・・

そんな霊的エネルギーで詰まった世界にぼくらは生きていると思うのです。

ぼくが「霊的生き方のススメ」「霊的革命」といっているのは、これらの力を認識し、それらの力を借りてこの世を生きてみませんか?そんなイザナイなのであります(笑)

これがぼくの望み。

もしかしたら、この世に生まれた意味。

これらを伝えるためにね。

こんなことは実はみんな心の底ではわかっていることなんだけれども、日々の生活に忙殺されすぎたり、刺激の強い物質化世界に翻弄されすぎて、これらの事実をみな忘れてしまっているんですね。

なんのために、この世に生まれて来たかを・・・

だから、それらと違う生活をしているから、つらいし、かなしい・・・

あなたの魂が泣いているのです。

もう少し、ぼく、わたしの存在に気づいて欲しいと・・・

この世は自分の富を見せびらかすために存在しているわけではありません。

もちろん、この世にあるモノを浪費し、独り占めするために存在しているわけでもありません。

すべてにはすべての存在意義があり、霊的意味を持って存在しています。

ですから、それらのすべての霊的側面を視て、それらの力を大いに活用して生きて欲しいと思うのです。

だって、そんな力はお金なんかでは買えませんよ!

プライスレス=無限大なワケなのであります(笑)

それらを活用する方法、それがみなさんが普段している「祈り」なワケであります。

その「祈り」を神に届けやすくする場所、そこが神社なワケであります。

結局、神道のまわしものじゃねーか!!と怒られそうですが、神道は神なき宗教ともいわれ、偶像崇拝ではないのでオススメしたいのであります(笑)

だって、神道はあなたが神なのですよ、という宗教なのですから(違ったらごめんなさい・笑)

というワケで、今回はワケワケとうるさい回ではありましたが(笑)、この世は想像するに相当豊かな世界で、ぼくらはそれらを大いに感じ、活用して生きていきましょう!!

そんな回なのでありました(笑)

それではまたみなさん、今日からめちゃくちゃ豊かな人生を生きていきましょうね!(笑)

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