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パンツをはいたサル

ものすごいタイトルだ。このタイトルが何度、ぼくの頭の中をよぎったものか(笑)

いわずもがな、これは最終的には政治の中枢である経済企画政務次官まで勤め上げられた経済人類学者:栗本慎一郎氏の代表作で、「人間は20%の人間性と80%の動物性から成る」として、人類を動物的角度から考察された本だそうだ。

そうだ、というのは、もちろん、読んでいないからなのだが、ぼくはこのタイトルだけで満足してしまっていたのでした(栗本さん、すみません・笑)

「うまいこと言うな」と。

実はこの本を調べるに、元ネタとして動物学者:デズモンド・モリスの書いた「裸のサル」をパロったものらしきことをはじめて知ったのだが、なんとも、本当にすごいタイトルだなといつも思うのである。

やはり、この作品が出版された当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されていた名コピーライター:糸井重里氏がある女性誌で「靄が取れたようになる本」と評したこともあり、この本はその当時世間に爆発的に名前が売れたものなのだが、さすがは糸井さん!、この本のタイトルは人類を表現する究極のキャッチコピーではないかと思っているのだ。

だが、今回のブログはそんなことを称賛するために書いてあるわけではない。

確かに、この本のタイトルはものすごいが、なにがすごいかというと、前著の通りこの本のタイトル一発で人類の本質をついていると思うからである。

「パンツをはいたサル」

このタイトルからいろんなことが読み取れる。

人間なんて、ただ、サルがパンツをはいているだけの存在ではないか。

サルがパンツ履くようになるほど、人類は進化しているのである。

人類がパンツを履くようになった経緯はこうだ。

そもそも、パンツって人類にとって一体なんなのだろう?

パンツの機能って・・・??

などなど、このタイトルからこの本の内容について、いろんなものが想像できる。

であるのだが、ぼくがこのブログでいいたいのは、この本の内容についてではなく、このタイトルでぼくが想起した「人類なんてたかがパンツをはいたサル」なんだからさ、という点。これについて書いてみたくなったのだ。

人類は動物学的にいえばというか、そもそもが動物なんだけれども、それを意識していないひとが多いようにぼくは思うのだ。

じゃ〜、自分たちをどのように認識してるかといえば、自分自身というものさえ普段ほとんど意識していない。

完全に受動の状況といおうか、お構いなしといおうか。

ナスがママ、ながれるママみたいな・・・

でも、ぼくがここでいいたいのは、人間は=動物である、と意識してこそ、はじめて、人間たる存在になるのではと考えているのだ。

人間=動物

この地球上に生きる動物と一緒と認識することから、すべてははじまる気がするのだ。

もちろん、人間だから偉いはずもなく、ただ単に他の動植物と一緒、この地球に住まわせて頂いている存在。

だから、人間だけがその資源を搾取していいわけもなく、さらにはそれをいち企業や個人がさも自分のものとして使用する権利など本来は持てるわけもなく、この地球上に生きる他の動植物と同様、みんな平等に地球資源を活かさせてもらっているのである。

そして、自分を動物と認識するからこその”美”。そこを意識する。

動物だからこそ、美しく自分を飾り、美しく生きる。

こういう姿勢も大事。

だから、優れたブランドもあるわけだし、それがそれらブランドの存在意義だったりするのである。

例えば、これはぼくが扱っていた音楽の世界でも同様、人間は鳥のようには歌えないので、音楽というものを創り世を表現する。

動物であるがゆえに自分の体を維持しなければいけないわけで、他の動植物のエネルギーを頂くことによってしか、この肉体を維持することはできないので、その自分の生命を維持するために犠牲になってくれる他の動植物の魂を鎮めさせるためにも、祈るように調理し、そして、祈りながらその命を頂くのである。

ぼくらは本当にパンツをはいただけのサルなので、そこを意識しないといけない。

偉くもないし、さりとて、賢くもないし、この地球上に生きる、他の動植物と立場は同等であると。

偉くないのは当たり前の話なんだけれども、賢くないというのは本当で、賢くあれば、とうの昔にSDGsを叫んでいたことでしょう。

自分が住む地球環境が最近変化してきたことによって、ようやく、そのことに気づいた。

こんなのは小学生時代の理科や社会の授業を受けて、地球環境がいまのようになることなど、このぼくでさえ容易に想像できたことである。

だが、人間社会は自分たちが少しでも儲かるよう、お金をたくさん集められるよう、しゃにむになって生きてきた。

これをぼくが断罪する権利など持ちようもなく、過去のぼくらがそうであったとすれば、それを現段階において改善すればいいのだと思う。

例えそれが後の祭りだとしても。

自分ができる範囲でその努力をする。

地球環境について、自分の行動を考えてみる。

とすれば、このぼくはディーゼル車など乗っている場合ではないが・・・

ほんの少しでも地球に優しい洗濯石鹸や食器洗剤を使うであったり、単純に水を無駄に使わないようにしたり、食材を無駄にしないような努力をしたり、各個人でできる範囲でそういう行動に移していく・・・

ぼくら個人としては、身近なそういうことでしか対応できない。

でも、このできることをする、ことが大事で、しない態度がいけないのだ。

すれば、いいだけだから。

その積み重ね、努力がぼくらがいま地球にできるSDGS的なことであると思う。

あ、これはそれしかできていない自分にもいい訳であるが、中古のものを利用することもそうだ。まだ利用できる服、車、家具、その他諸々をメルカリなどを通して利用してみたりする。

だから、メルカリは栄える(笑)

すべてに対し存在意義があるから。

ま、それらのことはさておき、当初の「パンツをはいたサル」に話は戻る。

そのように、ぼくは自分のことをサル、ないしは、それ以下と自分のことを考えているので、サルに劣らないよう、パンツをはいたり、こうして、先祖が考案してくれた言語を使用させてもらったり、そういう人間の創った音楽を愉しませてもらったり、天から頂いた、否、他の動植物のエネルギーを摂取させて頂く際、祈るように作り、祈りの後、頂くようにしている。

ようは、人間はたかがサルなんだけれども、されども自分のことをサルと認識しているからこそ、なんですね。

この中庸の意識というか、そこをぜひ大切にしてもらいたいと思うわけなのであります。

そこからが、本当のあなたのできる範囲のSDGsに繋がります。

なんのこっちゃ(苦笑)

ということで、本日は「パンツをはいたサル」についての話でした。

今日もみなさん、地球環境に優しく、お元気で!!

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