アトリエ・エス

私はサディスト。 サドマゾのサド。 エスエムのエス。 偽りのベールはかなぐり捨て、 今こそ真実の私を!

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    真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび

    第四十九回 慕情の石見路篇      柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 并せて短歌  石見(いはみ)の海(うみ) 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る

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      • 真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび

        第四十八回 続・越中路篇   春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ乙女 巻一九・四一三九、大伴家持ですね。 これもホント、すごく新しい歌、一回読めば意味が解ってしまいます。 詞書によれば、越中の守(カミ)であったころの作、庭の桃と李(スモモ)の花を眺めて詠んだとのことです。 で、ここでまた、大手日刊紙のコラム記事なぞを。 ------------------------------------------------------- 東京の私立上野学園中学上

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          第四十七回 古吉野篇  山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 船出せすかも (巻一-三九、柿本人麻呂) 同じく持統天皇の吉野に行幸のお供の時に詠まれたものです。 なんと、この女帝は在位中だけでも31回も吉野に行ってるのです。 なんで、こんなにも? 理由はいくつかあるでしょう。 壬申の乱の思い出の地であること。 日本史上まれに見る政治的安定期にあったこと。 治水のための神事。 そして何よりも、持統天皇が旅行マニアであったこと。 山の神も川の神もあいよってお仕

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            第四十六回 坂東太郎篇    利根川の 川瀬も知らず 直渡り 波に遭ふのす 逢へる君かも また東歌です。卷十四-三四一三。 波に出会うようにばったり出会ってしまったあなただワン、ですか。 本当に、なんて新しい古典! です。 さて、利根川。 この歌の詠まれた上流から下ってみましょう。 昔は東京湾に注いでいたわけですよね。 今はいうまでもなくCGのとおりなんですが。 河口の光景は雄大ですぞ。 なにせ向かいは米国、アメリカ合衆国です。 日本語標記では「米国」ですけど、同じく

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            第四十五回 南紀白浜路篇   家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る                 (巻二142) 有間皇子の牟婁の温湯(=むろのゆ)、今でいう処の南紀白浜温泉に向かう道中の歌で、ワリとメジャーですよね。 んで、どういう意味なんだろう? 家にいたならちゃんと食器に盛って頂くことのできる食事も、こうして外に出でてしまうと護送役人、ああ実はこれ謀反の嫌疑が掛かっての護送旅なんですわ、 役人が蒸しあがった、当時はデフォルト蒸し飯です、ご飯

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            第四十四回 季節はずれの秋の野に 万葉集 名前 で検索してみつけたのが、これです。    道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ 草に寄す、ってことで、巻十-2270、作者不詳の歌です。 名前は名前でも植物の名前で出てきましたか。 それに季節も正反対、けど、これが一番綺麗だったので、取り上げてみました。

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            第四十三回 春の野に 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも 巻十九 4290、 大伴家持です。 同じ天文現象でも春は霞、秋は霧という、と聞いたことがあります。 敢えて訳などいらんでしょう。いつもながら解り易い、 三連首の後の方の いささ群竹 やら、ひばりあがり やらは、よく聞きますが、この4290はあんま聞かない、特になんの変哲もない歌の様に感じられます。 万葉の丈夫ぶりも第四期になると、大分色褪せるように思われます。 まあ無理もないでしょう、一

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            第四十二回 巨勢山篇 今回は、万葉集の椿の歌へと。     巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を 巻一54、坂門人足です。 但し、この『つらつら椿』~は、作者専売ではありません。 或いはご存知か?他にもつらつら椿とやる歌なら万葉においても幾首かあります。 犬養先生の講義では、『三浦岬でドン打つ波』~と並べ、 著作の概念のなかった当時においては、歌は皆の共有財産、誰かが歌っていいと思ったら皆で(同じフレーズを)歌う、だから歌は歩いていく、 の例示と

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            第四十一回 後年の歌枕・須磨篇    須磨人の 海辺常去らず 焼く塩の 辛き恋をも 吾はするかも 後年、数多くの歌に詠まれることになる須磨が万葉集にもありました。 巻十七-三九三二、平群女郎(ヘグリノイラツメ)です。 やってましたねえ、某国営放送大河ドラマで。 海と山に挟まれた天然の要害、海岸線の隘路… だから、歌に詠み込まれる景勝となるわけで。 ただ、近代化された今日の須磨には、「藻塩垂れつつわぶ」幻想も「通う千鳥」もなく、遠慮がちに見える漁船と淡路の島影を海上に

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            第四十回 酒を讃むる歌 とどーんと十三首、一括掲載!  験なき ものを思はずは 一杯の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (338)  酒の名を 聖と負ほせし いにしへの 大き聖の言の宣しさ (339)  いにしへの 七の賢しき 人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし (340)  賢しみと 物言ふよりは 酒飲みて 酔ひ泣きするし まさりたるらし (341)  言はむすべ 為むすべ知らず 極まりて 貴きものは 酒にしあるらし (342)  なかなかに 人とあらずは

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            第三十九回 桃の節句篇 今日は桃の節句。    はしきやし 我家の毛桃 本繁み 花のみ咲きて 成らざらめやも 巻十1358、譬喩歌。 先ずは先に別の歌の話をしておくべきでしょう。    我が宿の 毛桃の下に 月夜さし 下心よし うたてこのころ 巻十1889、同じく譬喩歌です。 月夜の庭の景にみせて実はこの歌、娘に初潮がきた喜びを歌ってるのです。 毛桃とは女性の符牒でして。 そこで元の1358に戻って、どうです?今日の場にピタリっしょ! 申し上げたとおり『我家の毛

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            第三十八回 風光の吉野篇     大和には 鳴きてか来らむ 呼子鳥 象(きさ)の中山 呼びぞ超ゆなる ここらで、万葉における吉野につき言及しておきましょう。 吉野に行幸した天皇といえば伝説時代を除けば、斉明天皇、そして離宮が出来た天武・持統以降は歴代ということになりますか。 申し上げましたように、万葉には花の吉野は一首も出てこない、出てくるのは全て風光の吉野、山川の吉野です。 さて、標記、巻一-七〇、高市連黒人の歌。 またしても、カッコウが出てきますか。吉野はちょう

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            第三十七回 鶴鳴き渡る    桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市 潟潮干にけらし 鶴鳴き渡る   (さくらだへたづなきわたるあゆちがたしほひにけらしたづなきわたる) 巻三・二七一、高市黒人です。 ちなみに、この本には ▽桜田=今の名古屋市南区内の地。▽年魚市潟=今の名古屋市熱田区および南区の西方一帯にあたる。昔、入り海であった。 の《語注》がついてました。 また鶴がでてきましたねえ。 万葉時代においても『タヅ』というのは書き言葉で、実際は『ツル』といっていたようです。 鶴な

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            第三十六回 大津篇   古の 人に我あれや 楽浪の 古き京を 見れば悲しき 昨日の読売新聞の[四季]に長谷川櫂が寄稿してました。巻一32、開巻に近い場所に収録されてる、高市古人の歌です。 古人と黒人が同一人物であったか否かの話は、いずれ機会があればするとして、この古き京。 これ、大津なんですよ。 なんとある大津が、日本の首都であったことがあったんですわ。 ま、程なく、例の壬申の乱でひっくり返されることとなるのですが。 而して、この歌があるわけです。

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            第三十五回 富士の柴山 ~ 生活の場としての富士 いつぞやの富士の高嶺の続編、ここにもってきます。    天の原 富士の柴山 木の暗の時 移つりなば 逢はずかもあらむ    富士の嶺の いや遠長き 山路をも 妹がりとへば けによばず来ぬ 巻十四東歌から、いずれも恋の歌ですね。 上 三三五五は生活の場としての富士、下 三三五六は恋人に会うためには障害となっている富士を歌ってますか。 後先になりましたが犬養孝先生の、この回の講義のあらすじを全文記載しましょう。 >神亀

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            第三十四回 還路の家島     家島は 名にこそありけれ 海原は 吾が恋来つる 妹もあらなくに さて、前にも取り上げた遣新羅使人の歌。 巻十五.三七一八は、 「つくしに廻り来たりて海路より京に入らむとし、播磨国の家島に至りし時に作る歌五首」 (の一番最初ひとつ)ってことで、還路の歌です。 全部で145ある遣新羅使人の歌で還りに詠まれたのはこれだけなんですよ。 どっかにいってしまったのか、何らかの事情で破棄してしまったのか、はたまた一行がもう歌詠む気力もなくなって元々歌自