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真性S女 アトリエ・エス と行く万葉のたび

第四十九回 慕情の石見路篇

 

   柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首 并せて短歌

 石見(いはみ)の海(うみ) 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和田津(にきたづ)の 荒礒(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡けこの山(2-131)

       反歌二首

 石見のや 高角山(たかつのやま)の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか(2-132)

 小竹(ささ)の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば(2-133)

さて、往時の掲示板のお客様のなかで、「(現役時代)古典の成績がホニャララだった」とおっしゃってた方がいらっしゃいますけど、わかります。
あれ、全然おもしろくないですもんね。
たとえば、上の人麻呂の名歌だって、長歌反歌の説明のためにつかうか、または枕詞と序詞の違い、「『玉藻なす』までは序、枕詞は訳さなくてもいいけど序詞は訳すものだ」などと詰め込むのための目的に利用するされるのが関の山です。

これじゃ、やんなっちゃいますよ。
犬養先生は全然違います。
講義を聞き返して、改めて犬養先生の教え方のうまさを実感したところです。
以下、その「教え子」が解説をしてみましょう。

宮廷歌人として数々の歌を詠んだ柿本人麻呂は、晩年石見の国の国主を務めました。
当時の地理的分類によれば、山陰は因幡まで。都まで25日かかる石見は員数外だったというわけです。
この歌は、都に戻る折に現地妻との別れを惜しんだ人麻呂の、珍しく私的な歌です。
この地方というのは、冬場は曇りがちな日が多いのですか?
私も、冬場に生まれた赤ん坊はわずかな晴れ間の日に裸で日光浴させる、と聞いたことがあります。
まさにそんな冬の日の荒涼たる光景を、「石見の海 角の浦廻を~」と詠み始めます。

地理的にも海岸際は切り立ったがけの多いこの地方です。
遠景から詠み始める、人麻呂おとくいの手法、いくつかの対句を使いながら、眼下の情景を詠み進めます。
そして、ふと海岸に打ち寄せられた玉藻にフォーカスを絞ったところで転調です。

ほら、映画でもよくあるでしょう?
遠景から近景へとフォーカスを絞り、ひとつのオブシェを捉え、そしてそれが恋人に姿に変形する、ってのが。
まさにそれですよ。
玉藻が、別れて来た妻の姿になって、そこから「寄り寝し妹」への思いが情熱的に歌われていくわけです。

「靡けこの山」、愛しい妻のあの家がみたい、みたい、みたーい! (そのためには)なくなっちまえ、こんな山なんか!
とんでもない誇大表現が、誇大表現にならないのは、前半部で石見路の荒涼たる光景を歌いあげていたその成果でしょう。
そして、反歌。

最初のほうに、初めて妻の具象が出てきますが、「見つらむか」あくまでも人麻呂の心中のこと、ネット馬鹿のいうとこの「脳内妄想」です。
そして、「我は妹思ふ 別れ来ぬれば」とまた元のひとりぼっちの道中風景でエンドになります。
長歌において、荒涼たる光景から因を発した内情を情熱的に歌い、反歌において情熱的な内情が再び眼前の荒涼たる光景に帰す…
長歌反歌一体となり、一大恋情交響楽を構成していることがお分かりいただけたでしょうか?

ところで、このときの人麻呂はもう晩年。
なのにかくも情熱的に妻を愛することが出来たとは!
毎晩毎晩、片道13キロの道を通ってたんですよ。

男性受けだとか、甚だしくはM男だなどと大でたらめを称し、寝そべって♀から愛撫されないと絶頂を迎えることもできないダメ♂の皆さん。
一人の異性を愛するというのは、これだけの根気と情熱のいる大事業なんですからね。


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