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#06ヒューマングループ創業者 佐藤耕一  ~上場からこれまで、 そしてこれから~

ヒューマングループ創業者・佐藤耕一。

後に多くの社員を率いることになる男は、何を思い、何を為してきたのか。その半生を振り返る。


 2004年10月、JASDAQ証券取引所に上場した。創業から19年、売上高は約500億円、営業利益は23億円にまで成長していた。株式上場におけるメリットとしてまず挙げられるのが資金調達だが、教育事業の場合は受講開始前に授業料をいただく前受金モデルなので、資金繰りには困っていなかった。どちらかと言えば社会的な信用であるとか、採用への影響力という点で上場することを決めたが、正直なところ今日までメリットを感じる場面は少なかったように思う。

 上場したら安泰、というわけでもない。むしろ上場した後のほうが、浮き沈みが激しかったのではないか。教育事業では教育訓練給付金制度改正による業績悪化、会計基準の変更(減損会計)などがあり2008年3月期には、19億7000万円の特別損失を計上し、22億7000万円の純損失となった。追い打ちをかけるように、好調だった人材派遣事業がリーマンショックや政権交代によって状況が一変。人材派遣業への締め付けが強化され、業務改善命令を出されたのが2010年のことだ。2009年に530億円あった連結売上高が、2012年には約半分の270億円にまで落ち込んだ。外部環境変化の恐ろしさを思い知らされた。事業の再構築を断行せざるを得ず、仕分けの判断は社長に一任することにした。上場で得られた資金は新規事業投資に多く割いていたが、学習塾や英会話事業、料理教室など不採算部門はドラスティックに閉じていった。

 そんな中、当時赤字が続いていたロボット教室と大阪エヴェッサは存続させた。のちに、この2部門を残した理由について改めて社長と話す機会があった。ロボット教室は「将来、デジタル時代の到来によって教育事業の柱になる」との確信があったらしい。大阪エヴェッサは「バスケットボールの競技性にポテンシャルを感じていたことと、バスケットを通じた社会貢献活動」だったという。フランチャイズの形態をとっているロボット教室の生徒数は2万5000名を超え、バスケットボールはBリーグ誕生や八村選手(NBAウィザーズ)の活躍でこれまでにない盛り上がりを見せている。

ヒューマングループの過去の歴史を振り返ってみると、教育が落ち込んだ時は人材、人材が落ち込んだ時は教育、と上手に補完しあってきた。直近では、長らく低迷していた介護がV字回復し、人材の落ち込みをカバーしているという格好だ。ビジネスには「選択と集中」という言葉があるが、もしこれを鵜呑みにしていたならば、ヒューマンはもう存在していないかもしれない。機関投資家にも〈多角化経営は市場から評価されにくい〉と苦言を呈されることもあるが、グループ経営が我が社の最大の強みなのである。

 これからグループの主役になるポテンシャルを秘めている事業は2つあると思っている。世界のITエンジニアを日本に招へいし、リソシアで常用雇用して企業に派遣するGIT事業、そして教育事業のIT講座だ。ITは令和時代の読み、書き、算盤である。社会全体が認めているなかで、初級から上級までのプログラム体系を整理し、教材を研究していけばもっと伸びていくだろう。

この2つの後、主役になるのが海外事業だと思っている。主役が入れ替わりながら、我が社はこれからもっともっと成長していくだろう。

              =終わり=

取締役ファウンダ ー  佐藤 耕一

※当記事は、2019年に執筆したものです。

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