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私のそれにはまだ名前が無い。

自分にとっての、当たり前にできること、空気を吸うみたいにできること。頑張らないでできることって、なんだろう?と問いを立てる。

その人のピッタリの何か?を選ぶこと。
アロマ

整体の施術

難易度は施術のほうが高い。
プロだから必ず結果を出さなければいけないと、思っているし
治せてなんぼ。そこに価値があると思っている。
ちょっと力んでいる。


アロマについては、傾聴のセッションだから、
クライアントさまの中に答えがある。
だから、結果を出さなければ!という
力みは整体より断然少ない。
その人の人生であるし、アロマはクライアントさまがストーリーを紡ぐフックの役目をしている。

今朝、アロマセッションをしている時に
「どうやって選んでるの?」
「他の人の香りがどんな香りか知りたい。」
と質問された。

クライアントさまに送った香りを
私はいい香りと思わずに送っている。
でも、それは、身体の声を信じているから
私にとっていい香りでなくても
クライアントさまが「幸せが広がる香り」と
表現するならそれで正解なのだ。
今回の香りは、「前回より、香りが自分に近づいて来た」と
表現していただいたから、マルなのだ。

身体の声を聴くには、エビデンスが無い。
私は、エビデンスがないものは、あやしいと思われるのではないか?と思っている節がある。
でも、実際は、調べてわかることは超越している。
説明できるものではないのだ。

私はそこで、エビデンスなくて申し訳ないと伝えた。
でも、クライアントさんは、私を観てくれて向き合ってくれてありがとうと言ってくださった。

身体の声を聴くは「カン」と言われたらそれまでだけど
いまある言葉で言うと、集合意識をとおして、その人の潜在意識にアクセスしているのだと思う。
教科書的な「思考」ではなくて、もっと原始的な生きる脳を使って「身体感覚」でエネルギーをみている。

本や他の人が話していることを総合するとそういうことで、その確固たる証拠はない。でも、そういうことなんだ。

その人を観る。直観というもの。
もしかしたら世の中の多くには知られていないけれど、一般的ではないかもしれないけれど、ほんとうに、ひとりひとりに向き合わないとできないこと。私のそれにはまだ、名前がない。名前をつけてあげたい。

アロマセッションの名前
施術の名前
「身体の声を聴く」ということの名前。

名前はつけたもん勝ち。
名前を付けるとそこに命が吹き込まれる。

これは、なんなのだろう。
ずっと、ずっと考えている。

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