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元子どもだった私が大人になって思うこと

子どもの頃、帰宅した父に突然「お前は社会ってもんを全然知らない!社会の厳しさも知らずに甘ったれてぬくぬく生活しやがって」と激怒されることが日常茶飯事だった。

うちは全く甘えの許されない家庭で
リラックスとは程遠い場所だったので、
子どもながらに冷静に努めながら(何せ相手が感情的なので)
「確かにお父さんの言ってる社会は知らないけど、決してぬくぬく生活しているとは言えない」
と答えていた。

まぁ、怒ってる人にそんなことを言うと当然火に油なんだけど、
自分としては口答えではなく、訂正しなければ、という感覚だった。
せめて子どもの間はぬくぬく生活させてもらいたいという希望はあるのに、実現してもいないことで怒られるなんて損しかないんだよなー。
そんな私も私で、弟にドン引かれていたのだけど。笑


当時の父は脱サラして事業を立ち上げたものの、上手く行かずに毎日大荒れだった。
私はと言えば、弟達のように子どもらしい空気でそれを支えることが出来ない頑固な子どもで、
「自分の感情は自分で処理して欲しいな」とか、
「反論したいとこもあるけど、大人ほどの経験もないしエビデンスも取れないし」と思って様子を見る選択をするのがせいぜいだった。


そんな子ども時代の経験もあってか、
私は、自ずと実験を重ねるように年齢を重ねてきた。

あの頃父が言っていた社会の厳しさって、
毎晩家族に当たり散らさなければ生きていけないぐらいの出来事って、何?
私もいつかあの頃の父のようになってしまうんだろうか?

様々な職種を転々とし、いろんな人間に触れ、住む地域や国によって違う出来事、それを自分がどんな風に通過するのか、実験・観察するように体験してきた。


いつの間にか私も当時の父に近い年齢になり、
結婚や出産、子育てをしながら自分で始めた仕事をしている。
そんな私がたどり着いた答えは、
要するにあれって、『父が見てきた父の思う社会』、『父が味わってきた厳しさ(うまくいかなかった物事)』の話だったんだろうな、ということだ。

確かにあの年代の人の辛さってものもあるだろうし、
父のあの性格で生きていくのは周囲との摩擦も相当だったろうし、
なんか色々大変だったんだろうな、と理解は出来る。

でも、人それぞれの生きづらさや
その性格ゆえの壁に基づいた、
「(俺の苦労を知らない)お前は社会を知らない、舐めてる」
みたいな説教って、やっぱり何の意味もないや、と
大人になった私は思っている。


例えば、子どもにだって子どもの社会があるし、
当然そこに厳しさが無いわけじゃない。
(自分が子どもだった頃を振り返って考えてみてほしい)

年齢や性別関係なく、その人を取り巻く社会というものが有り、
そこで生じる辛さや楽しさは個人特有のもの。
それを他人が理解できないからって責める必要も、責められる謂れもない。

人間が違えば見る世界も違う。
例え全く同じ出来事が降って湧いても、人によって受け止め方や乗り越え方は(良い悪いは関係なく)全く違うのだ。


大人になった私が改めて思うのは、
子どもや若者を無闇に焦らせたり
恐怖感を植え付けるんじゃなくて、
自分のペースで素直に生きるように言ってあげれば
あとはそれぞれ、その人なりに楽しくやってけるし、今の時代はそれが叶いやすいんじゃないかなー?ってことだ。
みんなと同じような高い目標を持たなくたって、誰からも認められる位置を目指さなくたって、人は普通に幸せになれると体感で知ってるから。世界の何を見て、何を思うかは本当に自分次第だ。

というわけで、
例えうまくいかない事があっても大丈夫。経験を生かしてちょっとずつアップデートしていく力が、人には自然に備わってるからね。私からは以上です。



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