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妥協ではなく理解

引っ越してからやっと髪を切りました。
いや、引っ越し前からなかなか切れず
個展の時も手をつけられなくて
せめてもと、こめかみからサイドを刈り上げたのみだったから、やっとという感じ。さっぱり。
ここまで来たら、生活面は随分整ってきたなーという実感があります。
嬉しい。

気づいたらかれこれ8〜9年くらい、セルフカット継続中。
きっかけはやはりアメリカ生活。
アメリカで暮らした事で、いろんなこと変わった。それは事実。

向こうで美容室何度か通ったけど
なんかなーと
結局毎回自分で手直し。
美容師さんには悪いと思いつつ
やっぱり日本との差が埋められなかったんです。私の中で。
これなら自分で切っても同じじゃないか?!と、美容室行くのをやめて
今日までずっとセルフカットを続けています。

夫の髪も同じく私が切り続けています。

自分で切るようになって
正直いい事ばかり。
(あくまで私にとっての"いい事"ですが。)

何がいいって
時間の節約
無理に世間話をするストレスからの解放
そして1番は
全てが自己責任だということ。

どういう結果になろうが、全ては自分のせい。失敗したら、さてどうするか、と、また自分で考える。

まさにクリエイションだなと思うわけです。

きっかけはアメリカ生活の中で感じた"不便"の改善。
それがなぜ日本に帰ってきてからも
未だ美容室に行かないのか?というと
もう自分で切ることが当たり前になってしまっているから。
自分の中で
やりたくてやってる事に変化してしまったんです。
わざわざ止める理由がない。
やりたいんだから。
妥協ではなく、やりたい事なんです。

このことに限らずですが
時々
自分の気持ちが伝わらず
相手の物差しで
それは"諦め"や"我慢"、"妥協"の上に立つ決断だと決めつけられて話を進められる時があります。

このアトリエもそう。
元々海の近くで探していたのを
最終的に決めた場所は厚木。

報告した人の1人から
"やっぱり色々妥協したの?"と
言われた場面がありました。

とても違和感を感じた瞬間でした。

その背景にはお世話になった不動産営業の方の言葉があります。
メールのやりとりの中でのこと。
探している物件の希望をお伝えするとき、自分でもわがままだな、と思うような事を並べました。
皆さん最初はそうなのかもしれませんが。

例の悪意のある営業からは
そんな条件の物件ないですよ
とはっきり言われていましたし
そのことが頭の中にあり
余計恐縮してしまい
わがままですみません。
と伝えました。

するとこの営業さんは

営業が『ご要望に叶う物件がない』と言うのは簡単です。ご要望の物件がないのであれば、少しでも理想に近い物件を探し出すのが我々の仕事のように思います。お客様が諦めるのはともかく、営業が諦めるものではないように思います。

と。
そしてさらに

最後に…わがままを言う事は悪いことではありません。
どんどん言ってください。安い買い物ではありませんので。それはわがままではなくこだわりだと思いますから。妥協して買うくらいなら買わない方がいいです。
もし条件面で歩み寄りをいただくのであれば、それは妥協ではなく、状況を理解したという内容かと思います。

と。

目から鱗の瞬間。
妥協ではなく、理解。

これが単に、物は言いよう、ではない事、感じ取れる場面が多々ありました。だから信じることができました。

そのほかにも、この方の考え方、受け止め方、勉強になる事が多くて、未だ自分の中に衝撃が残っています。

確かに、私が厚木の家に決めたのは、妥協ではなかったし、今、すごく気に入っています。むしろこの家でよかったと思っています。

間取り、外からの視線カット
外の作業スペース確保
プライベート空間の確保
毎日静かに
穏やかに暮らせる環境

わがままを並べたとき
きっと営業さんは私達にとっての優先順位をパパッと瞬時に判断して下さったのでしょう。

今手に入れたこの環境は
元々希望していた地域では
全てが叶う事は難しかったかもしれません。そのことを理解する必要があったのだなと改めて思います。

設定した希望価格からも
古い物件でいいと思っていたし
自分達で手直しするつもりでもいました。
むしろ、この家の状態はいい方で
なんだかんだあっても
すぐ住める物件、という条件をクリアしてくれていました。

妥協はしていないんですよね。

だから第一声で
やっぱり妥協したの?
と言われた時の違和感がものすごかったんです。

でもそこでぐっと言葉を飲んで
そうですね
と答えてしまったことに
実は未だ後悔しています。

ちゃんと自分の言葉で話せるようになりたい。なろう。

後悔してるからこそ、今そう思っています。

私の悪い癖。

言いたいことをグッと飲み込んで、そうですね、と答えて話を切り上げようとしてしまう。
口をひらけば攻撃的な自分が出てしまいそう、そう思っての判断なんだけど、そもそも穏やかに、自分の気持ちを伝えられるようになりたい。そうすれば、自分の気持ちに反する「そうですね」を言わなくて済むようになるのでは。

移住を実行するまで、自分がどう生きたいのか、ほんとに色々考えました。
仕事としてのものづくりはもちろん続けていきたい、続けるというよりも、むしろもっとたくさんの方に作品を届けたいし、想いを届けたい。なんだかんだ言われようが、自信を持って私のものづくりを表現したいし、そのためにもプライベートエリアも守りたい。

会社員の時と考え方が変わったのはこの部分。公私混同なんて言葉はそもそも無くて、私にとって作ることと暮らす事は一緒。どちらも私の人生で、私の時間。どちらも大切に、どちらも思いっきりのめり込みたい。
だから、アトリエ兼住居。

最初は夫もこの部分はなかなか理解できなかったようだけど、10年の間にだんだんと理解を示してくれるようになりました。私は器用ではなく、そして予定通りに、とか、何でも綺麗に線引きして考えたり動いたりできないタイプ。段取りが悪い、といえばそれで終わる。だけど私的にはここをポジティブに捉えていて、それが私のクリエイションなんだと思っています。私自身が納得しないと次には行けない。納得する道を自分で探す。ぐちゃぐちゃだろうが、そうやって切り開いてきたからこそ、また頑張れる。

妥協ではなく、理解。

不器用な私が理解する方法なんです。

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