「足の爪くらいウブでいさせてよ」
「足の爪くらいウブでいさせてよ」
山田詠美さんの、どの短編だったろうか。
こんなような台詞があったと思う。
化粧も香水もバッチリな女の子が、靴を脱いでみたら意外にもペディキュアの塗られていない素の爪だった、というエピソード。
読んだのは高校生の時だったけれど、当時の私には、それが非常に粋などんでん返しとして胸に刻まれた。ギャップの美学?不足の優位?とにかく、私の中でこのエピソードのインパクトは物語の結末のそれを超えてしまった。
あれから20年ほどが経過した今。
私は、足の爪だけ塗って”いる”。
一週間の大半はスッピン。
美容院もときたま。
手の爪は無色で、爪切りでバツーンバツーンと切り揃える。
要するに、色気などない。
「足の爪くらい、女でいさせてよ」
気づいたら、あの小説と逆!!
でも、深いところの意味合い的には実は同じなのかもしれない。と、気づいた今日。
結婚して、子供ができて、不意にラブソングなんかを聞いても昔のアルバムを開いているような気分になる今日この頃なんだけれども。
(“恋”というステージを完全に卒業した自覚がある。)
自分が女性として装う努力や楽しみを、完全にゼロにしないための戒めとして、足の爪を塗る、という行為を選んでいるような気がする。
いつか子供が巣立って、オットと旅を楽しむような時が訪れたら、手と足の爪を反転させてみようか。
そして、言うのだ。
「足の爪くらいウブでいさせてよ」
またひとつ、人生の愛おしくもくだらない目標が増えた。
案外そんなことが、日々の小さなつまずきや悲しみから私をさり気なく救ってくれるような気がする。
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