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無意味な反応を一つずつ手放す

今日、一つ失敗をした。

仕事中ではなかったけれど、人に迷惑をかけた。

僕は自分を責めた。

体が強張った。

心も強張った。

思考が止まった。

後悔に苛まれる。


自動的反応。


ふっと子供の頃の記憶が蘇る。

同じようなミスをして、親に怒られる自分。

何も言えず、ただ降ってくる言葉に耐えるだけ。

そんな日は寝る瞬間まで憂鬱だった気がする。

なんて自分はどんくさいんだろう? と自分を責めて、

「怒られる」ということに怯えて。


だけど今日、その人は怒らなかった。

むしろ、笑い飛ばしてくれた。

迷惑をかけたのは事実なのに。

もちろん、笑い飛ばせるだけの失敗だった、という面はあるのかもしれないけど、

「責める」という選択もあるはずだった。

だけどそうはせずに、なるべく僕の気持ちが重くならないように接してくれた。


新しい世界だった。


失敗とは当然責められるべきことで、怒りと反省とはセットでやってくるものだと思っていた。

「どうしてそういうミスをするのだ」と人に責められ、

「どうしてそういうミスをするのだろう」と自分自身を責め、

二重に自らを責め立てて初めて、反省は成り立つような気がしていた。

もちろん、適切な反省は必要だ。

同じミスを繰り返さないような意識も。

だけど、責め続けたところでミスをした時点まで時間が返るわけではない。

そう考えると、「責め続ける」という反応は決して建設的な反応ではないということになる。


僕にとってこれまで自然だった反応、

”失敗をすると自分責めを始める”

この不必要な反応は、少しずつ手放してみよう。

そんなことを思えたエピソードだった。

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