イタリア料理人が現地でしか学べないこと。
フィレンツェのあるレストランで働く料理人(以下Aさん)から質問がありました。
この方はまだイタリアに来て数か月なのですが、今働いている職場を辞めて、新しい職場を探してる途中で、自分の方向性に悩んでいるようです。
この質問は長い間僕も考えてきたテーマの1つであるし、アメリゴで働いてちょうど1年も経過したところなので、Aさんの質問に答える形で、もしくは自分に言い聞かせるつもりで書いていこうと思います。
あくまで経験の浅い一料理人の個人的見解なので、右から左に受け流しながら聞きたい人だけ聞いてください。
料理に限った話で言うと、
イタリアでしか学べないこと
はありません。
だってこれだけレシピや調理技術がインターネットを通して手に入る時代で、接客や丁寧な仕事ぶりを比べてみても、もはや日本の方がレベルの高いレストランなんて幾らでもあると思いませんか?
イタリアで修行してなくても、尊敬できるシェフは沢山います。
残酷な答えかもしれませんが、これが現実だと思います。
ではなぜ僕がイタリアに来たのか?
それは実際に現地で食べられているイタリア料理がどのようなものなのか体験するためです。
例えば僕も作っているトルテッリーニやラザーニャ、タリアテッレ等を食べてみて、実際すごく感動したとか、びっくりしたとかいう思い出はあまりありません。
それだけ料理人を感動させるには、かなりお店を選ばなければならないことは、料理人なら分かっていただけると思います。
具体的に言うと、例えばアメリゴのボロネーゼを初めて食べた時に感動こそはしなかったものの、
「あ、なんか東京でずっと教わってきたボロネーゼよりも、子供の頃に食べたミートソースに近いかも。なんか懐かしい感じ。しかも生玉ねぎに塩を付けて一緒に齧りながら食べるんだ。面白い。生玉ねぎは美味しくないけど(笑)」
が僕の正直な感想です。
このような発見はよくあります。
もはや美味しい美味しくないの基準ではなく、自分が今まで食べてきたもの、想像してきたものと比較して、ディティールを言語化して記憶に残しておくことが大切だと思います。
美味しい美味しくないの基準ではないと言いましたが、もちろん自分がこのお店で働くという立場になった場合は、自分が感じる最低限の美味しさは保証されるべきだとは思います。
さて、イタリア人の働き方に関しても同じです。
よく日本にいる時に、
「イタリア人は普段怠けているけれど、必要性に迫られた時のスピードや瞬発力、体力に関しては驚くべきものがある」
という話をよく耳にしましたが、それも全て想定の範囲内でした。
もちろん人によるのだと思いますが、僕が日本で働いてきたお店のシェフは朝から晩まで働き、もっと早く、綺麗に、完璧にを徹底していました。
なので、まだ僕は1年しかイタリアで働いていませんが、今のところ厨房においてイタリア人がとりわけ日本人より凄いと思ったことは正直まだありません。
僕が凄いと思ったとしてもそれは、それは大体イタリア人・日本人のような民族的な差異ではなく、個々人の人間の魅力です。
このお店で働く中で感じた文化的な差異に関してはいくつか挙げることができます。
家族をすごく大切にしている
人と人との距離が近く、スキンシップが多い
みんな友達みたいな感覚
仕事以外の時間を大切にしている
日本人はやさしいと言われがちだが、それより優しい人もいる
自分の土地を愛している
基本自分中心なので、お互いに気を使いすぎることがない
これはあくまで自分個人が感じたことなので、日本人でもいくらでもこういう人はいると思います。
それに良いと思う部分を書いただけで、それが悪い方向に働く場合も多分にあります。(例えばイタリア人には気を使わなくていいけど、大事な時に気を使ってもくれないとか。)
これら文化的な差異も、もちろん料理に影響はありますが、間接的なことなので、ここではあえて分けて考えたいと思います。
イタリア料理とは何か?
僕には哲学があって、イタリア料理とはその土地の表現であると思うのです。
そもそもイタリア郷土料理の始まりは、その土地で沢山採れた食材を、あくまで生活するために、より長くより美味しく食べようと思ったマンマ達が、どう工夫して食べるかという「知恵」から生まれたものです。
素人が考えて美味しいから広まって残ってきて、アルトゥージなどが体系化したのです。
もちろんマンマだけではなく、メディチ家などの宮廷料理を起源とした料理もあります。
なのでイタリア料理の本質は、その土地の食材を使って知恵によって生み出すものだと思っているのです。
だから自分はずっとイタリアに居るよりも日本に帰って、所縁のある地元の土地の食材を使ってイタリア料理をやりたいと思っています。
その方がイタリア料理の本質に近いのではないかと思うからです。
それを前提にした場合に、果たして自分が日本に帰って表現できるイタリア料理とはなんでしょうか?
それは実際にイタリアで自分だけがした「体験」です。
「技術」以外でいうと「記憶」や「物語」とも言えます。
例えば北ロンバルディアの山奥にあるレストランで働くとしたら、それはイタリア料理でしょうか?
大抵のイタリア人はあんなに山奥で、一年中木を切って、野菜を栽培し、チーズやサラミをつくり、自分たちが食べるための鳥を育てながらを暮らすことはないと思います。
はたまた海に囲まれたサルデーニャ島で、新鮮な魚介を使って作るのがイタリア料理でしょうか?
この二つは全く真逆のものですが、どちらもイタリア料理です。
それぞれの土地にそれぞれの土地らしさがあり、そしてそれぞれのお店にそれぞれのお店らしさがあり、それぞれのシェフにそれぞれのシェフの哲学があります。
だから一つだけのイタリア料理なんていう概念はそもそも存在しないのです。
Aさんが今住んでいるフィレンツェもイタリアだし、僕がいるサヴィーニョもイタリアだし、Aさんがもし将来イタリア料理をやりたいのであれば、体験した千葉も、阿蘇山もイタリアになります。
今まで体験したこと全てが、自分だけのイタリア料理になります。
だからオステリア・フランチェスカーナのマッシモ・ボットゥーラは世界中から自分のお店に集まった料理人の味の原体験や記憶をものすごく尊重します。
じゃあどうすればいいの?
このイタリアと呼ばれる土地で、自分が面白そうだと思ったところにとりあえず飛び込んでください。
もちろん自分の理想に近づくよう考えて行動しますが、結果は誰ひとり分からない。
結果が嫌だったらまた動けばいい。
好き嫌いで動いていい。
だってそれしかできないじゃん。
というのが答えです。
例えば今の職場の仮に美味しくない料理も、将来Aさんのお店で、同じような食材を使ってもっと美味しく作って、盛り付けも変えれば日本のお客さんは正にイタリアの風を感じるかもしれない。
更にその一皿に、そのお店で苦労した思い出話というスパイスを加えれば、もっとイタリアになるかもしれない。
そういう意味でいうと今の職場もイタリアらしいと言えなくもない。
結論
イタリアでしか学べないものはないけど、イタリアで学んだことはイタリアでしか学べないこと。
という逆説的な答えです。
つまり、自分の体験とそこで習得できた技術だけがイタリアでしか学べないものです。
だって赤ちゃんはお母さんのお腹の中で、外の世界では何が学べますかなんて考えもせずに出てきて、それぞれがそれぞれの方法でこの世の全てを学びますよね。
なので僕は最初からイタリアという環境に対して過度の期待をかけていません。
とは言ったものの、僕は抽象的な話に終わらせたくないので、
もっと具体的な話をします。
まず僕がお店を選ぶ基準です。
アメリゴを選んだ理由はただ一つです。
手打ちパスタを学べるからです。それさえ学べれば後はどうなってもいいと考えてました。ちゃんとした技術じゃなかったとしても、あとで自分で修正するぐらいに考えてました。
次のお店を炭火焼のお店にしようとしてるのも、炭火の技術を学べるからです。仮にそこに入って学べなくても、自分で勉強して物真似してやろうぐらいに考えています。
僕は日本にいる時にある人から
「イタリア帰りのシェフでも大したことない人が多いから、イタリア行っても行かなくてもそんな変わらない」という言葉を言われたことがあります。
それが本当に悔しくて色々考えました。
でもまずはそう思われている現実を受け入れなければなりません。
確かに自分はよく「日本で技術を学んだけど、イタリアでは生き方や考え方を学んだ」みたいな話ばかり聞きます。
なので僕はそうならないために「イタリアでこれこれを学んだ」といえるような技術をもったお店を選ぼうと思っていました。
イタリア人の哲学は勝手に付随してくるものだけど、技術は最初の意思がないと身につかないと思ったからです。
それに実際、僕は日本で他の料理人に比べて沢山の技術を身につけられなかったというコンプレックスがあります。
なのでお店選びの基準は自分と相談するのが一番よいのではないでしょうか。
それ以外だったら単純に星付きの有名なお店を探します。
味がある程度保証されると思っているからです。
有名じゃなくても実際に食べて美味しかったらいいと思います。
でも僕はお店が決まったから、後付けでそんなことを言えるけど、実際はそんなに考えてなくて、当時アメリゴで働いている日本人がたまたま辞めるから、たまたま良さそうなお店で働けたというラッキーでしかありません。
あとは僕が良いと思っているお店でも他の人は良いと思わないことも多々にしてあります。
参考にならずすみません。
でももしこれからイタリア料理修行でお店選びに迷っている方がいるとしたら自分はこういいます。
イタリアは20州あります。
それぞれ料理の方向性があります。
なので好みの州を調べて直観で選んでください。一つじゃなくてよい。
分かりやすく郷土料理を扱うトラットリアやオステリアの他に、現代的なレストランもありますが、ほぼ全てのお店がイタリアの郷土料理を発展させたお店です。
あとは就活と同じなので、好みのお店にアタックしかないです。
ただイタリアはコネ社会なので、家の壁をぶち破るよりも、中から開けてもらうか、壁のヒビを見つけてとことんそこを責めるかを考えた方が明らかに容易です。
おわりに
ここに書いた文章は全て自分に言い聞かせている理想です。
単なる言葉にすぎません。
なので実際にはその理想をかなえることはほぼほぼ難しいです。
妥協もめちゃくちゃしますし、すぐ楽しようともします。
でもせっかくリスク背負って料理人という職業を選んだからにはなるべく理想に自分を近づけたいと思っています。
たぶん話を聞いた限り、既にAさんは僕がここに書いたような行動をやってます。
僕よりものすごく若い時からしっかり考えて行動する姿勢はとても尊敬できます。
でもなかなか結果が付いてこないから不安なのではないかと思います。
でも大丈夫だと思う。
だって僕がどんな失敗したって周りのイタリア人は必ず言うもん。
Va bene!(大丈夫)
Va bene!(大丈夫)
Andrá tutto bene!(なるようになるさ)
それもイタリアで学んだことです。
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