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新規事業について少しずつ

去年の春から夏にかけての時期。ちょうど、人工肛門を元に戻す手術も終わり、コロナ禍の中、まわりが混沌とする中、「自分には何ができるだろうか?」という問いを投げ続けていました。

これから起こりうることには昔から敏感で、キャリアコンサルタントになろうと決めた時も、周囲にうつ病で休職する知人が増えてきたり、リーマンショック手前くらいだったとは思いますが、なんとなく社会に対してもやもやすることも多かった時期。「働く人たちが苦しくならないで楽しく働けるにはどうしたらいいんだろう」と考えて、自分が相談に乗れる人になりたいと思った。

伊豆への移住を決めた時も、友人たちがだんなさんの転勤で海外駐在がめちゃくちゃ増えて、その際に、友人たちはバリバリやっていた仕事を手放して転勤についていく姿を見ていて、その友人たちが働き続けたかったかは別として、「どこにいてもやりたい仕事で稼げるにはどうしたらいいんだろうなぁ?」と思っていた時に、結婚予定だった相手が伊豆の企業に転職したいと言うことになり、「まずは自分が試してみよう」と思ったのがきっかけ。

伊豆高原にコミュニティスペースをOPENしたときは、震災がきっかけで、地域の方々を助けるために何ができるだろうと考えた時に、どんなときでも生き延びられる「生きる力やスキル」を学べる場をつくろう、支え合えるコミュニティをつくろうと考えたから。

わたしの衝動のきっかけは、周囲だったり社会に対して課題を感じたときに「何ができるだろう?」という自らの問いに「こうしよう」という仮説が浮かんだ時に衝動的に何かを始めている。

コロナ禍であること、そもそもコロナと関係なく地域課題は山積みであること、何ができるだろうと2017年くらいから学び続けてきた地域経営。熱海で事業を始めて3年経ち、「よし、熱海で働く人たちがちゃんと稼げるように支援しよう。その学び場でありコラボレーションが起きる場であり、自分自身が働く場をつくろう」と思い立った。かつ、3年以上、どうしても埋まらなかった熱海銀座のシェア店舗の「奥」。ここをなんとかしたいと言う若者の気持ちも汲んで。

正直、このコロナ禍で1000万円近い融資を受け、人が集まる場所をつくるとは正気の沙汰ではないかもしれない。けれど、わたしはいつだって衝動で動いてきた。独立したときは貯金0円で、渋谷に住んでいた家賃を払い続けられるかわからなかったがバイトしてでもやろうと見切り発車。伊豆にきた時も、誰も知り合いがいない中でなんとかなるだろうと見切り発車。コミュニティスペースを始めた時も、カフェでもレンタルスペースでもない場所の家賃を払うので、収益なしw そうであった、わたしはそういう人であったw

そして、今も生きている。直腸癌ステージⅢでも、ずっと働き続けられている。もはや、事業をやることくらいリスクも怖くない。一番怖いことは、目の前で苦しんでいる人がいるのに何もできないことだ。助けてと求めてくれた人の手をつかめないことが一番怖い。

借金は、がんばって働き続け、人のニーズと期待に応え続けられればどうにか返せるだろう。万が一、病気で死んじゃっても生命保険で返せるし。家族に迷惑はかけないでいられるだろう(手続きとかはお願いするかもだけど)。

と、衝動で始める。もちろん衝動が起きるまで時間がかかっているとも言えるけれど、熱海にきて3年。いよいよ本格的に場所をつくります。2月4日に着工なので、今はそれがとても楽しみです。

パースやロゴもつくっているので、完成したら、こちらでもお披露目させてくださいね^^。

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