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歴史に疎いが関心領域を観た回

アタマちゃんです。
上映開始前から気になっていた関心領域。
アカデミー賞の音響賞を受賞していることから、これは映画館で観たほうがいいよなと思いつつも、アウシュビッツ収容所の塀の外に住む所長家族の話ということは知っていたので、内容が内容なだけに鑑賞するタイミングをずっと見計らっていた。

やっとちょうどいい時間ができたので鑑賞してきた。
言葉に迷うが、映画館で鑑賞してよかった。映画館で鑑賞したからこそ、気づいたこと、思うことがあったからだ。

ネタバレ…?は一応ご注意を。
最後に個人的な疑問を綴るが、あくまでも個人の考えです。


日常に溶け込む虐殺と人権侵害

生活と虐殺が同時進行している日常

2階建ての広々とした邸宅。プール付きの庭。毎日手入れする植物。自慢の温室。かわいいペットの犬。理想の環境。

子どもの見送り。庭の手入れ。家族の団らん。夜には夫婦で思い出を語る。

視覚的には、綺麗で美しい、家族の日常が描かれている。

そんな中で、少し遠くから、昼夜問わず、発砲音、怒号、叫び声が聞こえる。
家族のちいさな赤ちゃんが泣いている声と同じ、当たり前の生活音や環境音でしかなく、誰が気に留めるでもない。

この映画は塀の外の話なので、塀の中の人たちが殺されたり、殴られたりする描写はない。
塀の外では、遠くから聞こえる銃声と叫び声が聞こえ、焼却炉の煙突から絶え間なく出る黒い煙が家の中から見え、夜はカーテンを閉めても外が炎で明るい、ということが日常。
それでも、見えていなくても、確実に塀の中では人が殴られ、殺され、焼却炉で焼かれている、ということも日常なのだ。

この生活音や環境音、映画館だったからしっかり聞こえたが、家で観たら気づけるかわからないかもしれない。それくらい、日常に溶け込んでいる。

家に泊りがけで泊まりに来たドイツ人のおばあちゃんは、立派な家や働き者の旦那と幸せに暮らしている娘の様子を見て安心していたようだったけど、この異常な環境に逃げ出した。無関心ではいられなかったのだろう。

冒頭、音が止む時

音だけでいうと、冒頭から印象的だった。

映画の冒頭、こもった「ぼーーーーーーーー」という音と、金属に反響したような、何かの音が聞こえる。叫び声か、もがいている音かしっかり聞き取ることはできなかったけれど、間違いなく生き物の音。たぶん、人間。

少しすると、その何かの音が途切れる。また何かの音が少しする。音が、しなくなる。
ああ、命が奪われたんだな、とわかる場面。
冒頭から、かなりきつかった。

世間話で当然のように話す人権侵害と略奪行為

私は、かなり歴史に疎く、知識がある方ではない。
それでも、ナチスドイツがユダヤ人をアウシュビッツ収容所で大量虐殺をしたことは当然知っていた。映画のテーマも、観る前から知っている。

それでも、ショックだったシーンがある。

所長の妻の母(おばあちゃんと呼ぶ)を家に招いた時、庭を歩きながらしていた世間話。
おばあちゃんは言う。(原文ママではなく、ニュアンス)

「この塀の中に知り合いがいるの。知り合いが塀の中に連れていかれるとき、私はあの人の家のカーテンが欲しかったのに、向かいの家に持っていかれてしまった。あのカーテン、気に入っていたのに。」

明らかにユダヤ人を人間だと思っていない描写だと衝撃的だった。
まず、知り合いが塀の中に行けばどうなるか知っているのにも関わらず、心配するでもない。ユダヤ人だから、収容所に連れていかれるのは当然なのだ。
百歩譲って、心配する言葉は出てこないとして、「この塀の中に知り合いがいるの。」の次に続く言葉が、「カーテンが欲しかったのに。」だ。異常としか言いようがない。
極めつけは、「気に入っていたのに。」
普通、気に入るというのは、自分のモノに対して湧く感情ではないだろうか。他人のモノに対して、気に入っていた、という感情が湧く…人を人だと思っていないから出てくる感情だと思う。

人権侵害と略奪が日常に落とし込まれ、よりリアルに身近に感じられて、ショックを受けた。

このシーンの他にも、衣類や日用品など、ユダヤ人から奪い取ったものを平然と使っている描写、命を奪ったあとの灰を肥料として撒く描写がある。

その他にも、大虐殺をしている施設の所長が子煩悩で動物好きだったり。良心から置かれたりんごの奪い合いでユダヤ人同士でも争いが起き、ナチスに殺されるという限界の状態だったり。

描写に対して感情を何度も書いたり消したりしながら考えたが、どう文字に書き起こせばいいかわからなかった。

話の流れとしては穏やかで、目に見えた大きな展開はない。
穏やかな日常から垣間見える戦争、虐殺、人権侵害に、ずっと胃が重たく、呼吸が浅くなる映画だった。

関心と無関心

日常生活への浸食

映画を観終わったあと、気持ちも足取りも重いまま帰ろうとしたところ、アンティークアクセサリーやヴィンテージ小物を売ってるお店があったので、ちょっと気分転換で寄っていこう、と思い眺めていたら、ユダヤ人から奪ったの中にはにこういうアクセサリーとか、綺麗なものたくさんあっただろうなと、全く関連性のない無駄な想像力が働いてしまい、一気に見れなくなってしまって、すぐにその場から離れた。
なんでこんなときだけ想像力が豊かなんだ…!普段浅はかなのに!

離れたあとも、車の音、人の話し声などの環境音に意識がいってしまって、暑い日なのに鳥肌が止まらなくて背筋がぞわぞわした。
ちょっと気持ち的にしんどかったので、音楽を聴きながら帰り、仕事をして意識をできるだけ逸らそうとした。
コロナになっても食欲旺盛でちょっと太ったくらいだが、鑑賞後は食欲が湧かなかった。

どんな気持ちですか?

これから書き連ねることは、私個人の趣向で、皮肉ではなく単純な疑問で、マナーとか、ルールでもない。気分を害す人がいたらごめんなさい。

この映画を観る前にポップコーンを買って、鑑賞しながら食べていた前の席の人。白ワインを買ってきて、楽しそうに入ってきた男女。

映画中にスマホの通知音らしきバイブ音を何度も鳴らし、エンドロールになったら、即、スマホを開いた子連れの夫婦。(これはやめてほしい)

私としては食や酒が進む内容でも、鑑賞後にスマホが気になる内容でもないので、ちょっと驚きだった。
飲食に関しては映画館側からしたら私より単価が高いわけだから、絶対に彼らは悪くない。もしかしたら、買っちゃって後悔してるパターンだってあるかもしれない。

じゃあ、飲食をしなければ満足か?と言われればそういうわけでもないし、もっと言うならバックボーンにある歴史を前提として知っているべきだし、ちゃんと知識がある人からしたら、お前、この映画観て何理解した気になっちゃってんの?その解像度で食欲ないの?と言われても仕方ない。ど正論だと思う。

ただ、自分はしない思考、行為なので、何を思い、その行動を選んだのか、どんな気持ちなのか、知りたいと思ってしまった。

最後に、関心領域のHPにこんな文言があったので、引用を借りて締めたい。

スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか​​?平和に暮らす家族と何かを書き留めておくことはどんな違いがあるのか​​?そして、あなたと彼らの違いは?

関心領域 公式HP


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