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『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』より

先日、久しぶりに大学の図書館に足を運んでみたら、ずっと気になっていた本が置いてあった。

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』著・若林正恭

今月のオススメの本として、図書館の一番目に付く本棚の中央に鎮座しており、となりの司書さん自作のPOPには「あのDJ松永の解説付き!」と書かれていた。いま多忙を極めている松永さんの人気具合を大学の図書館で感じるということがなんだか可笑しくて、一人で小さく笑った。

家に帰りさっそく読み始めると、あまりの面白さに読みふけり、その日のうちに読み終えてしまった。

キューバ、モンゴル、アイスランドでのひとり旅。
本の中の若林さんは、日本で生きてきて、知らず知らずのうちに背負ってきた荷物を日本の外に持って行き、日本の価値観の外側でそれが持つ本質を見定めていたように感じた。

あるときは、サンタマリア・ビーチで。
あるときは、モンゴルのゲルの中で。
あるときは、ストロックル間欠泉の前で。

なんとかたどり着いた外側で、冷静に自分を取り巻くモヤのようなものの正体を暴いてそれに立ち向かう、あるいは上手くかわす方法を見つけていた。

日本の中にいると、当然ながらそこでの価値基準にしたがって生きることになる。変に歯向かったり、世間と違う行動をしたらすぐに爪はじきにされてしまう。だからそこでの基準が、この全世界の基準のように思えてしまう。

ただし実際は、場所、あるいは集団によって良いとされるもの、悪いとされるものは全然違う。あくまで「自分が今いるこの場所での基準はこうなのだ」ということを頭のすみに抱えておかなければ、郷に入って郷に従ったまま、そこの価値基準に振り回され続けることになってしまう。
そうならないためには定期的にその場所を外から眺めることができる場所に避難する必要がある。お金も時間も体力もかかる。
だけど、そうすることで自分の中に小さく積もった「どうして?」という疑問の山を少しずつ解体することができる。

私は、日本の若者がみんな揃いもそろってトレンドの服を着ていることが、たまらなく気持ち悪かった。大学のキャンパスで、同じような服を着た人を30人以上見た日には、それに違和感を覚える自分がおかしいのかもしれないと思い、悲しくなった。自分の服は大丈夫なのだろうか、みんなが乗っている流行りのものなのか、そう不安がることがしんどかった。

しかしオーストラリアで1年間の留学をした際、私は学生の服も自分自身の服すらも、気にしたことが一度もなかった。オーストラリアは毎週土曜日になると、あらゆる場所でフリーマーケットが開かれ、そこで服を買う人も多い。そうなると流行りの服など存在せず、各々が好きな服を自由に着ていた。もちろんオシャレな人もいたし、服に無頓着な人もいた。
だけど、その自由さが本当に心地よかった。

もちろん旅に出たからといって、日本に帰ればいつもの日常が待っているし、何かが劇的に変わることはない。数週間も経ってしまえば、心酔していた外側の価値観やそこで手に入れた感動も薄れてゆく。
いま自分がいる世界の基準に適応しようと体が無意識に動いていく。

たとえそうだとしても、あらゆる価値基準が世界には存在しているということを理解していれば、旅先でしか出会えない人や景色との出会いを胸に秘めていれば、強く前へ足を踏み出すことができる。

日本に引きこもりすぎて、忘れていた大切なことを思い出すことができた。
この本を置いてくれた司書さんは、本当にセンスがいいと思う。
今後もし、松永さんが本を出した時、POPの「あの○○の解説付き!」には誰が入るのだろう。すこし楽しみだ。


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