あとれいの記憶、わたしのはなし。


私の話す言葉が君に伝染していくのがわかる。
何気ない口癖、昔見たCMのうた、アニメのうた。
君が知るはずのない記憶が血を分け与えて生まれた分身のようになって、忘れられなくなる。

今日はあとれい、そう
わたしの話をしよう。


お話といってはかしこ、かしこまりすぎてはいますが、自分の記憶を整理する為にも思ったことを書き出していきたいと思います。

まず、私という人間は、人のことを記憶に残すのが苦手でして、それは諸々幼い頃に受けたトラとウマが暴れた結果で、どうしようもないことではありますが、そのせいで。とまでは言い切れませんが、全部ぽっかり抜け落ちてしまうのです。(まどろっこしい言い回しは癖です)
…いや、訂正します。抜け落ちる、のではなく
自分から抜け落ちる“ように”記憶を処理しているのだと思います。
それは無意識、もあれば、意識して行うこともあります。まあ、簡単に言えば、自分勝手、ですね。
ここから少し話を脱線させますが、しっかりとレールは繋げていきますのでお許しを。

私は誰かの記憶に残りたいのです。幾度となくこの世から消えてやろうと意気込んでは、未遂におわり、途方に暮れて、また繰り返して、と。しんどい時期を乗り越えて今は息をしてはいますが、その思考に至るきっかけとなった出来事がありまして。詳しくは控えて書きますが、私をくすぐったくなるくらい可愛がってくれた義理の姉となるはずだった、大切な人が、自ら命の選択をして、私達家族の前から忽然といなくなりました。
当時小学生だった私には衝撃的な出来事ではありましたが、ある意味、生と死とはなにか、を考えるきっかけになった大切な瞬間でもあります。
そこで強く意識したことがあって、noteをやっている皆さんであれば一度は目にしたことのある言葉や考えだと思いますが。

人の記憶から消えた瞬間、人間は二度目の死を遂げる


そう、こういうことです。
だから私はなにがあっても、大切な人が存在したことを記憶を残して、二度目なんかこないようにしてやろう。と、誓ったわけです。

それと同時に、先程はなした

「私は誰かの記憶に残りたいのです」

という言葉に繋がっていくわけです。
誰かの中で息をしている私がいてくれるなら、二度も切ない気持ちにはならないだろう、と。

ですが、その癖に私自身は誰かを消していくのです。
自分勝手と説明した通り、訂正の仕様がありません。

ですが、その中でも、忘れられない人達が存在して、永遠息をし続けていくのです。ただ、私にとって忘れられない、ということは(トラウマと関係していますが)同時に恐怖を与えることでもあって。

自身の寿命の中にある永遠の代償に、常に怯えて暮らしていくわけです。

それでも、よかったなと思える日がくることを願って、不器用ながら人との縁を紡いでいきたいと思っているのです。noteをはじめたきっかけも、そういう部分に影響された一面もあります。

今見返したら長々と書いてしまいましたね、すみません、なんだか途中から眠くて頭が回っていません。

そう、そしてこの記事を書くきっかけとなった話があるんですが、(私の脳みそ、心臓で)永遠に息をし続けていく人リストが新たに更新されまして。その人との関係自体には、永遠やら、ずっと、という言葉はないのかもしれませんが、私しか知らない記憶を彼は体験して、また私も彼しか知らない記憶を共有して、まるで血を分け与えた分身のように感じることが時々あって、怖いけど、それもまた悪くはなかったんだよ、って書きたくなって、思い起こしながら記事を書いてみました。

みなさんにも、忘れられない人、忘れたくないものってきっとありますよね。
その感情をどうか、すこしだけでも、忘れないであげてくださいね。

あとれいが生きた証、言葉たちをこれからも印ていきます。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?