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#08|さよなら東京

結婚する時点で旦那が農家の長男なのは解っていた事なので、
いずれ群馬に戻るであろうことは漠然と理解していました。
が、中学から東京の学校に通い、渋谷が庭だった私にとって、
やはり住み慣れた都会を離れるのは辛かったのですが、
こと子育ての観点からは良いであろう事しかなかったので、
辛さを緩和すると言う点では子育ての困難さは痛み止めみたいな効果がありました。(実家の母には相当堪えたらしいですが)

東京藝大にデッサントップで入った伝説の腕を持ちながら、
10年勤めたとはいえ、国家公務員を辞めて「百姓になる!」と言う旦那。
私とはスケールが違いすぎるので、黙ってついていきます。
(一応「嫌ならついて来なくていい」「工房は作る」と言っていた)

群馬の両親も、私たちに子供ができるずっと前から、
でっかい家を新築して何も言わずに待っていました。
旦那が一般大学入試失敗からの3浪して藝大に受かるまで、
これまた何も言わずに下宿代&学費を出し続けた両親は、
包容力が桁違いです。

私自身も、「東京でなければ嫌だ」「やりたいことがある!」と言った
自信ややりたいことを持ち合わせていませんでした。
印刷関係の仕事がしたいなら東京が有利に決まっていましたが、
小さな子供を抱えてどうやったら業界に入っていけるのか、
その壁はとてつもなく高く感じ、
後ろ髪を引かれながらも、逃げるように東京を後にしました。

(写真:子供との散歩中吸い寄せられるように入ってしまった、今はなき同潤会大塚女子アパートメントハウス)





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