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靴音

「外階段」がなぜか気になる。
なぜかわからない。
こういうアパートに住んでいたことはない。

以前のオフィスの窓から、近隣のビルの外階段がいくつか見えた。
踊り場でタバコを吸う人。
ノビやあくびをする人。
体操をする人。
さまざまである。
最近は、スマホで話す人や、メールかチャットを打っている人も多い。
やはり、気になった。

ユーレイには足がない、とよく言われるが、本当だろうか。
違う、と思う。
「牡丹燈籠」のお露さんは、カランコロンと下駄の音をさせて現れた。(⇐それは鬼太郎)
私が唯一見たことのあるそれらしきモノは、白く透き通る姿で隊列を組んで親友の亡くなったおじいさまを迎えに行くところだった。
足並みが揃っていて、見事だ、と思った。
足はある。

古く錆びついた鉄の外階段を眺めていると、ふいに「足の亡霊」が見えるような気がすることがある。
いや、亡霊ではなく「生霊」かもしれない。
「六条御息所」の抑圧された想いが、勝手にその身体を抜け出して生霊となったように、古い外階段には、さまざまな想いが霊となり蠢いているような気がしてならない。

ある霊は、真新しいパンプスを履いている。
なんとなく危なっかしいリズムだ。
階段の鉄の板を蹴る音が不規則なのは、ちょっと無理をして高めのヒールにしたからだろう。
恋人の身長に合わせたかった。
今、彼の部屋には電気がついている。
古いアパートは、昼間でも暗くて、在室ならば電気をつけるのが習慣となっていた。
駆け上がりたいのに、履きなれないヒールがもどかしい。

別の霊は、ちびたミュールを引っ掛けている。
細いピンヒールが鉄板のギザギザをこすりながら上がっていく。
こんなにつっかかったら、ヒールが傷むとわかっているけど、もう古いからいいや。
可愛いのを新調したって、彼は気づいてくれやしない。
もう何日も電気が消えたままの彼の部屋。
ポケットの合鍵を握り締める。

革靴もたくさん行き交っている。
セールスマンや夜勤明けや、ピカピカやヨレヨレや、いろいろである。
次の給料をもらったら新しいのを見に行こう、と思っている霊は、磨り減った皮底をいとおしむように階段を上がっていく。

廊下に面した灯りは、ダイニングを兼ねたキッチンのものだが、自分は奥のひと間、ささくれた畳の上に敷かれた安物のカーペット・・・そのテーブルで食べるのがいい。
料理のできばえで、その日のご機嫌がわかる、彼女はとてもわかりやすい女だ。
さて、今日はどうだろう。

スニーカーのほどけた紐を踏んづけた誰かが落ちていくような気配は気のせいか。
一人暮らしの彼の安否はどうやって確認されるのか。

ドアの向こうだけでなく、階段外の植え込みの陰にも、鉄板を叩く靴音に耳をそばだてている「耳の霊」がいる。

錆びた外階段は、誰かのかけがえのない日常と、私の気まぐれな非日常を、出会わせてくれる格好の舞台だ。
待つ喜びといら立ちと、待たれるそれと少しの重圧と。
それから待たれぬ哀しみと。

リアル過ぎる幻は、白昼の路地にふさわしい。

「やり過ごす 靴音だけが前を行き 案内(あない)はいらぬかと 風の聲で訊く」

読んでいただきありがとうございますm(__)m