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「強い人」なんていない

「強いね」と言われて傷ついた頃があった。
ただの強がりを、強がりだとわかってくれる人を求めた。

けれど、現実に誰かを前にすると、強がりだとばれることが怖くてならない。
わかってほしいと願いながら、「わかっている」と言われると、「どうしてわかった?わかるはずない」と疑い、落ち込み、反発した。

いまは「強いね」と言われても傷つかない。

たくさんの別れといくつかの命の看取り、自身の命の危機を経て、私の心は多面体になった。
相反するものを矛盾と思わなくなった。
誰かの同じ言葉が、当たっていて、同時に外れてもいる。
それは、心がミラーボールのように多面体で、しかもゆるゆると回転しているから。

「〇〇な人」なんていないのだ。
一人の人間の中に、強さも弱さも優しさも冷たさも、慈悲も無情も正義感も狡さも同時にある。
だから、逆に信用できる。

「あなたはこういう人だよね」って、占いの性格診断みたいなものだと思う。
どの結果を提示されても、必ずどこかは自分に当てはまるようになっている。
うっかり隣の欄と見間違えても、「ああ、ここは当たってるわ」。

自分の弱さを認めると、とてもラクになる。
でも多面体だから、弱さは単なる一面で、「弱い人」なわけじゃない。
しかもぐるぐる回ってるから、同じ事象に対して弱い時も強い時もある。
前は耐えられたのに今は耐えられないということも、あって当たり前。
だから「あなたは強い人なのに、なんでこんなことでめげてるの」って叱咤激励は、全くの的外れだ。

読んでいただきありがとうございますm(__)m