見出し画像

ゆるす ~美しき従姉~

「○○子おばちゃん!」
と、母に駆け寄ってきたその人の顔に見覚えはなかった。
名前は知っていたし、少女時代の写真も見た事があったのだけれど、30年も40年もの時の隔たりが、私に同一人物と認識させなかった。

「○○ちゃん!」と、母も彼女を抱きしめた。

2010年、春。
故郷での通夜、棺の中に横たわる老いた伯母の、娘がその人だった。

しかし。
彼女は、先に亡くなった伯父の連れ子である。
血の繋がらない先妻の娘を、伯母が苛め抜いたということを、私は通夜の親戚連中の話から初めて知った。

特に、自分に同じように娘が生まれてからは、差別は誰の目にも明らかになったが、猫の首に鈴をつけるものは、いなかったらしい。
兄弟姉妹も親戚も、みんな、この伯母夫婦に、何かしら世話になっていたからである。

伯母は、けして意地悪な人ではなかった・・・と思う。
少なくとも、私と、妹である私の母には優しかった。
この話を聞くまで、私は伯母を温和で陽気で優しい人だと思っていた。

七五三、入学、卒業、と続く子供の行事に、何もできない母を思いやって、たびたびお金や食べ物や服や着物を送ってくれた。
もっともそれらは、兄や私の手に渡ることはなく、ほとんど父が持ち出して飲み代に代えてしまったけれども。

私が物心ついたとき、その従姉は、すでに家を出ていた。
故郷から遠く離れた京都の学校に行き、そのまま就職した。

彼女とすれば、少しでも早く逃げたかったに違いない。
思えば、送ってもらった服や着物は、すべてこの従姉のもので、伯母の実の娘であるもうひとりの従姉のものはひとつもなかった。

伯母にしてみれば、目障りな先妻の娘の持ち物をとっととどっかへやってしまいたかったのだと想像する事は、すこしばかり意地悪かもしれないが。

これは誰の着物?と尋ねた私に、母が見せてくれた写真は、目を見張るほど可愛らしい女の子のものだった。
三つ、七つ、入学式、卒業式と連なるその少女は、年を増すに連れて、美しくなっていった。

私は、その人のおさがりを着ることで、自分もその美しさに近づけるのではないかと思い、ひそかにわくわくした。
でも、その願いは届かなかったらしい。
自分だけのために何かを買って欲しい、などということは考えない少女だった。

やせっぽちの難民体型の私をよそに、美しき従姉はどんどん美しくなり、知性あふれるイケメンに見初められて結婚したと聞いた。
それきり従姉の話をしたことはない。
どうしているかすっかり忘れたまま時が流れた。

まさか。
あの伯母が、真冬の雪国で、裸足のまま家から締め出したり、真っ赤なしもやけになったその足を和裁の竹のものさしで打ち据えたことなど、知る由もなかった。

伯母は・・・
従姉のあまりの美しさに嫉妬していたのかもしれない。

伯母は、たぶん、容姿にコンプレックスを持っていた。
あるいは、そんな美しい子を産んだ夫の前の妻に。

従姉の実母がどうして家を出たのか知らない。
けれど、従姉が家を出たとき、別の叔母に報告に来て、実母を探している、あたりがついたからもうすぐ会いに行く、というようなことを言っていたらしい。

しかし、会ってどうしようという気はなかったのだと、私は想像する。
ただただ、自分を産んだ母親がどんな人か、見たかっただけではないか。
美しき従姉の、聡明そうな目が、私をそんな気にさせる。

そして、会えたのか、会えなかったのか、誰も聞くことはなかったし、従姉自身も告げることはなかった。
継母のいじめについてもまた、そのさなかも、離れてからも、誰に泣きつくこともなかった。
母を始めとする伯母の弟妹たちが、一方的にこっそりと哀れんでいただけである。

そして、通夜の日。
あんな酷い目に遭わされて、ほんとやったら、来んでもおかしないのにねぇ・・・ と、誰かが言った。

美しき従姉は、当たり前に、けれどもやはり美しく年を重ねて、自分を苛め抜いた継母との永久の別れにやってきた。

そして昔、自分を哀れみながら、けれども何も手出しをしてはくれなかった叔母たちのひとりひとりに抱きついて、涙の中で再会を喜んだ。
通夜、告別式とも、従姉は腹違いの妹や、喪主である故長男のお嫁さんと、仲むつまじく立ち働いた。
参列者のひとりひとりに丁寧な挨拶をし、酒を注いでまわった。

出棺前、最後の別れで、遺体に花を手向ける。
そのとき。

故人の実の弟妹や実の娘に混じって、従姉も泣いていた。
号泣ではなく、静かに静かに、震えていた。

その胸のうちに、かつて竹で打たれた足の痛みの記憶はあったのか、厳寒の戸外で凍えた恐怖は、どんなふうに消え、またどんなふうに残っているのか。

美しき従姉は、何も語らず、ただ、おばちゃん、遠いところ、よう来てくれはったねぇと、繰り返すだけだった。

人の思いに色があるなら、どんなふうに交じり合ってどんな色を成していくんだろう。
心の色は混ぜすぎてもどす黒くならないものなのだろうか。

恨みとか。
憎しみとか。
それから愛情とか。

従姉の夫は手術のミスで亡くなった。
裁判をしなかったのは、夫の遺言だそうだ。

亡くなる前、死を覚悟した夫は、妻に告げた。
「お医者さんも、こうやって失敗をして、だんだんと名医になっていかはるんやで。」

処置のミスにより、内臓を含む下半身麻痺となり、残り少ない余命を告げられた患者が、そう言った。

美しき従姉は、継母のことはひとことも責めなかったが、このときの夫の台詞には今も憤っていると、美しい眉をゆがめて苦笑いをした。
あんた、なんでもっと怒らへんのや、と。

人は何のために生きるのか。
何のために生きたら、生きてよかったと思えるのか。
生ききるということはどういうことか。
「お別れホスピタル」が終わっても、そんな思いが胸にある。

死にゆくとき、私は何を赦せるだろう?



読んでいただきありがとうございますm(__)m