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詫びるとか責任を取るとか

官房長官の不信任案が否決された。
これで更迭があるとすれば、党や内閣や総理大臣として、この人を信じているのかいないのかわけがわからない。
更迭があるとしても遅すぎる。
総理大臣は、ことごとく身内に甘い。

臨時国会が閉じた後で、交代させるという話が専らだが、本人が「責任を取る」というのがいつも肩書を外すだけなのには釈然としない。
政府の要職さえ抜ければそれで責任を取ったことになるの?

さらに、こういうとき、当の本人は大抵「混乱を招いたこと」しか詫びていない。
かけられた疑惑自体には「調査中」だとしたり「捜査中」だと言って「お答えを差し控える」ばかり。
そして、辞めるのは「国民に申し訳ない」からではなく「政治や国会運営を停滞させない」ためだと言う。
これで詫びられた気になる国民がいるだろうか。
それでも、次の選挙に当選させてしまうのは、有権者として本当に情けない。

私は交通事故の加害者の謝罪を辞退した。
救急車で搬送されて、砕けた骨を創外固定のためのボルトでつなぐ緊急手術をした翌日、加害者から直接電話がかかってきた。
おそらく、保険会社からアドバイスがあったのだと思う。
消え入りそうな声で、直接お詫びと見舞いに行きたいとの申し出があった。

断った。
コロナ禍というのもあったけれども、本心はそれは大義名分で、私は詫びを入れたことで「赦された」と感じてほしくなかったのだ。
その後、退院してから再度、訪問の申し出があったが、それも断った。
検察に送検されるタイミングで「被害者への謝罪」が済んでいるという事実が欲しかったのだのだろうと想像した。
折しも、相手の保険会社から弁護士に同様の依頼があったそうで、弁護士も私と同意見だった。

再度断ると、次に弁護士を通して「では謝罪の手紙を出したい」と言われた。
そんな手紙、もらってどうするの?
「今後はこのようなことを起こさないように注意して運転してください」とでも返事を書けというのか。

手紙が手元に残っても、怒りに任せて破り捨てても気持ちは収まらない気がした。
けれども、相手はこれで「一段落」するのだ。
私が赦そうと赦すまいと、そんなのは関係なく「詫びた」という事実が加害者を安堵させる。
何か月かの免停はあるにせよ、治療の費用も慰謝料も保険会社が払ってくれる。
加害者には詫びることしかできない。
それを成し遂げれば、「できることはやった」ということになるのだ。

手紙も遠慮してほしいと弁護士に伝えた。
だから、加害者は一生、私に謝罪していないことになる。
それで満足というわけではないけれど、「謝って済むのなら警察はいらない」という気持ちがしぶとく私の中にある。

相手の保険会社について検索すると、保障の中身に「事故直後に見舞金2万円」というのがあったので、電話して詳細を尋ねた。
すると、この2万円は、被保険者に対して支払われるものとわかった。
つまり加害者が、被害者のところに見舞いに行くときに持っていく菓子折りや果物かごの費用まで保険で賄われるということだ。

訪問を断って良かったと、しみじみ思った。

政治家や企業の不祥事があると謝罪会見が開かれることもあるが、そのたびに「詫びる」ってなんだろうと考える。
これは誰が誰に対して、何を詫びているのだろうと。
そして、見聞きした者は何をもって「これでよし」と了承するのだろうか。

ついでに、以下に人生初めて受けた警察の事情聴取について、当時スマホに書き留めた経緯を書いておく。

2回目の手術の2日前、警察が来た。
救急車の中で答えたことに、新たに付け加えることもないのだが、書式に則った正式な聴き取りが必要なのだろう。

病院はコロナで面会禁止となっているが、退院を待っていたのでは、いつまでたっても検察には送れない。
30分という限定条件のもと、デイルームでの面談が許可された。

救急車内での聴き取りをもとに、おおまかな文言を警察官が口述し、被害者の私が補足や修正をしていくという段取りだ。

青信号の横断歩道という前提があるので、この聴取による刑罰の差は生じにくい。
刑罰といっても、免停と罰金で済んでしまうような話で、手術の痛みもなければ、後遺障害の不安や不便もない。
弁護士を頼んで、どれだけ高額な賠償金が発生しても、支払うのは加害者ではなく保険会社だ。
犯罪もそうだが、圧倒的に加害者が守られている。
調べてみても、加害者をギャフンと言わせる方法はないらしい。

私の場合は問題ないが、予め警察官が文言を用意しておくやり方は、時短にはなる一方、誘導的になる可能性があると感じた。
記憶が明確でない場合は、そう言われるとそんな気もする、というふうになってしまうのではないか。
最初にしゃべった印象で、双方のイメージが出来上がってしまうとしたら、ちょっと怖いかもしれない。
事故を起こしたとき、遭ったとき、事件に巻き込まれたとき、一番動揺している最初の説明こそ、一番冷静に行なわなければならないと実感した。

私は背負っていたカメラ用リュックが枕となったために頭を打っていなかったので、加害者よりもうんと冷静だったと思う。
救急車の手配を指示し、加害者が動転して「救急車って何番でしたっけ?」という質問に番号を教え、車線の通行を妨げない歩道近くに身をよじりながら寄せ、警察への通報も指示し、加害者の車両が他の車の通行の邪魔になっていないかを、頭をよじって確認した。
よもや、手首がぐちゃぐちゃになっているとは想像だにしなかった。
わかっていたら、動揺のあまり泣き叫んでいたかもしれない。

聴取の最後に、加害者をどうして欲しいかを訊かれた。
そのあたりは、前もって弁護士に電話して確認してあった。
寛大な措置か、厳罰か。
「お任せします」が一番いけない。

厳罰に、と答えた。
理由も必要だというので、もう元の機能や外形には戻らないし、仕事も失ってしまった。
「残りの人生ぐちゃぐちゃにされたから」と言ったら、これは文言の想定がなかったのか、警察官はそのまま「人生ぐちゃぐちゃにされた」と記載していた。

政治家の不祥事や犯罪に対しても「お任せします」が一番いけない。

読んでいただきありがとうございますm(__)m