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【エッセイ】愚直に

僕は深く考えることが苦手だ。
熟考というものはあまりしない。
基本ありのままを受け入れるスタンスで生きている。

そんな僕だが幼少期はちょっと違ったように思う。
何かといろいろと考えこんでしまうタイプだった。
些細な一言を気にしたり、どうしようもないことをウダウダと考えて、誰も気にしないようなことを考えて泣いたりする、ちょっとセンチメンタルな少年だった。
今でも思い出すのは小学5年生の冬。
「今この瞬間はもう二度と訪れない」
という当たり前な事実に思い至った僕は、ベッドの中でこっそり泣いた。

こんなことで泣くような僕は、考えても考えても悩みが尽きることなく、あまりにも苦しくなったため「悩んだところで仕方ない」という暫定的な答えを手に入れ、処世術として「深く考えない」というものを会得した。
「深く考えない」というのは随分とその後を生きやすくしてくれたが、かわりに繊細さを失ってしまったように思う。
何か疑問をいだくべきようなことがあっても「まあ、そういうこともあるよな」と受け入れてしまいがちで、水深2センチくらいの浅い思考をするようになってしまった。

これはコミュニケーションでも大きな障害となった。
というのも、相手がボケても「まあ、そういうこともあるよな」と頭の中で片づけてしまうからだ。
とっさのツッコミがなくなったことによって、会話自体の瞬発力がどんどん失われていき、やがて明らかなボケでも突っ込めなくなった僕は、さぞかし面白みのない人間だっただろう。
今までボケを潰されてきいた人たちにはここで謝っておきたい。
ごめんね。

そんな全てを受け入れてしまう僕がエッセイを書き始めた。
エッセイとは物事を深く考え、注意深く観察できる人に向いているものだと思っている。
つまり「悩んだところで仕方ない」「まあ、そういうこともあるよな」と切り捨てる深み2センチ思考マンとの相性はすこぶる悪いということだ。

現在毎日更新をしているが、かなり苦労をして書いている。
自分の中にある建付けの悪い引き出しを開けては、何か話を展開できないか考え、書いて、消して、書いてを繰り返す。
とにかく捏造だけはしないと決め、つまらなくても等身大の自分を書き連ねる。

もう正直やめたい。
書くのがしんどい。
ならやめろよ、と思うかもしれない。
やめたところで誰も困らない。
それは事実だ。
しかし「1か月間は毎日更新する」と一度決めたからには、やはりそれを貫き通したいと思っている。

深く考えることを放棄した僕に今できることは、愚直に決めたことをやりきるしかないからだ。

だから今日もこれを書く。
愚直に、ただひたすら。

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