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【エッセイ】「夢」ではない

「大人になればなるほど小さくなるものな~んだ?」という問いに幼い少女が「……夢!」と言う動画がバズっていた。
純真そうな子どもによる皮肉の効いた発言は、思わず僕も笑ってしまう動画となっていた。
しかし、よくよく考えてみたら、その年齢から大人になると夢が小さくなると考えてしまう子どもに憂いを感じてしまう。
そう思いながら成長するなんて、少し寂しくないだろうか。

僕は幼稚園の頃、将来なりたいものを書く時間があり、そこで建築関係の父親から聞いて知っていた「せっけいず(設計図)」と書いた。
幼稚園の先生に「設計士のこと?」と聞かれ、かたくなに「せっけいず」と答えていたことも覚えている。
そんな僕が、見ず知らずの少女が「大人になればなるほど夢が小さくなる」という発言に憂いをいだくのはてんでおかしい話であるし、余計なお世話だとは思う。

そもそも、僕たちは子どもの頃にどんな夢を持っていただろうか。
自分に照らし合わせて考えると、もしかしたらちゃんと夢らしい夢を持っている子どもは昔から少なかったんじゃないかとさえ思う。
上で書いたように僕は設計図という、知っている言葉を書いたに過ぎない。なんなら、よくそんなの知っているねって言われたくて書いただけだった。

大人になると夢が小さくなる。
たしかに大人になればなるほど、空想的な夢は小さくなっていくだろう。
仮面ライダーや戦隊もののヒーロー、魔法少女なんてものは存在しないと気付き始めるからだ。
そのかわり、成長するほど具体的に世界(あるいは社会)が見えてきて、逆になりたい職業の選択肢が増えてくるという事でもある。
それだけではなく、こんな恋人と過ごしたい、こんな家庭を築きたい、こんな老後を送りたいなど様々な夢が生まれてくる。

何が言いたいかと言うと、大人になると夢が小さくなるわけではないという事だ。
より空想的な夢から現実的な夢に変わっていくだけである。
人によっては「それが夢が小さくなるってことだよ」と言うかもしれないが、僕はそうは思わない。
夢は夢のままであり、何歳になろうとそこに貴賤はない。

いい歳をした僕にも夢はある。
それは自分一人の努力で叶えられるであろうこともあれば、人に頼らないと叶えられない夢もある。
何個もある。
何個だって夢を持っていいのだと思う。
何歳になっても夢を持っていいのだと思う。
だから大人になるにつれて夢が小さくなるなんて、そんな寂しいことは言わないでほしい。
そして成長するごとにいろんな夢をいだいてほしい。

なので大人げなく言わせてもらおう。
そのなぞなぞの答えは「夢」ではない。「服」である。


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