『見たい姿』を求める違和感
先日、落合陽一さんのツイッターでこんなつぶやきがあった。
これをみた時に、田舎で活動する若者の見られ方についてもやっとしていることを思い出した。
私の会社は、宮城県の最南端にある丸森町という人口が1万人ちょっとの小さな町にある。
丸森町のよく見える景色は田んぼと山と川で、一番高い建物は4階建ての役所で(たぶん)、私の通学路にはヤギや牛がいた。高齢化率は40%超、道を歩いている人はあまりいない、ぽつりぽつりと歩いている人はほぼおじいちゃんとおばあちゃんという、若者の少ない町だ。
私の会社はデザイン事務所で、チラシやwebサイトを作ったり、時にはイベントや事業の企画部分から一緒に考えることもしている。
それに加えてもう1本の事業の柱としているのが、手しごと製品の販売だ。
こんな感じの、現代の生活シーンに馴染むような手しごと製品のブランドをつくっている。
販売している製品を作ってくれているのは、町のおじいちゃんやおばあちゃん。作り始めてから何十年という人もいて、わらの鍋敷きひとつ見ても、作り続けて来た時間を感じる、しっかりとした丁寧な作りだ。
私たちのこの事業を初めてから約半年、ありがたいことにメディアの方が気にかけてくれて、何度も取材をしていただいた。
その時に感じたことがある。
それは、メディアとして見せたい見せ方があるということ。
都市部ではなく田舎で事業をしている若者は、その土地のために頑張っているように見せたい。そんなシナリオに当てはめようとしてきているなと感じることがあった。もちろんすべてのメディアではないし、それが何かしらの悪意であったとは思っていない。
だけど、私がインタビューで話したことから「え?そこに繋げてしまうの?」みたいな話のつながりで、『地域のために頑張る若者』という見せ方に持って行っていることも多かった。
『地域のために頑張る若者』?
事業を営んでいくうちに、『地域のために頑張る若者』という見られ方について、私は少しずつ違和感を持つようになった。
どんな違和感かというと、なぜか地域のために頑張ることが当初からの目的かのように話されることが多いということ。
私は丸森町の出身で、丸森町が好き。
それはずっと根底にあって、自分の事業や活動が、結果的に町のためになるのはとても嬉しいし、そうなるといいなと思ってはいる。
けれど、私たちが会社で成し遂げたい目的というのは、まず自分たちの幸せであり、その幸せにはクライアントや地域の幸せがある。
これは私個人の考えだが、自分が幸せでなければ他者を幸せにすることができないと思っている。
この違和感について考え始めたとき、もしかしてこれまで地域で活動していたけれど離れてしまった若者は、この違和感に苛まれたりしたのではないだろうかと思った。
メディアではなく、大衆の求める姿なのかも
そして、メディアが見せたい見せ方は、多くの視聴者が求めていることでもあるのかもしれない。
若者が少ない町で、その町出身の若者が、地域のおじいちゃんたちがつくった製品をブランディングして販売しているという話があったら、その地域のために頑張っていると思ってしまうのだろうか。
「地域のために頑張っているんですね」と言われた時に、素直な心で「そうなんです」と返すことが私にはどうしてもできない。
この違和感はただの天邪鬼なのかもしれないけど、やっぱり違和感は違和感として、感じたものを感じなかったことにはしたくない。
私は、私のために頑張っている。
最後に
自分が感じたこの違和感のように、自分自身も他者に対して、思考せずに大衆的な見方をしてしまっていないか考えるようにしようと思う。
会社以外でこの話はしたことがないけど、もしそう感じている人がいたら、この話を読んでそうかもしれないとふんわり思った人がいたら、話してみたいです。
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