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【 コロナで収入ゼロ 】 からフリーランスへ

コロナが流行し始めた2020年、収入がゼロになりました。

飲食店で料理長をしていた私は、緊急事態宣言により休業を余儀なくされ、2020年4〜5月収入はゼロ。

貯金を崩しながら生活し、不安とおうち時間が増えていったあの時。自分にとって幸せな生き方や仕事ついて考える、ターニングポイントになったのです。

17歳から志していた夢を、今こそ実現させよう!と思い立ち、フリーランスとして独立することを決意。

現在、東京でフリーランスのフードスタイリストをしています。

※ フードスタイリストとは
食の撮影で、料理・盛り付け食器選びなどを行い、食をおいしそうに演出する仕事です。
企業の商品開発、飲食のメニュー開発、レシピ作成、フードコンサルなど...食の幅広い分野に携わります。
フードコーディネーターや料理家とも呼ばれることもあります。



■ フードスタイリストを目指したきっかけ


当時17歳
「フードコーディネーターになるには」という本に図書室で出会いました。
聞いたことがない職業への好奇心は、受験勉強をそっちのけにし、一気に本を読み終えます。

「フードコーディネーターになろう」という目標が、突然できたのです。

なんとなくしているつもりだった受験勉強が、赤から青信号に変わった瞬間でした。

本を手に取るきっかけは、進路に悩み将来の夢について考えていたとき。
母に「私は何が好きそう?どんなジャンルが得意そう?」という質問を投げかけます。

母が答えてくれた中で、驚くほど刺さった回答が

『食べ物に敏感で、味にうるさい子供!笑』
という言葉だったのです。



■ 点と点を繋げた、母の言葉

17歳のとき、母とした何気ない会話が、今の私へと繋がっています。

【 牛乳にうるさい、3歳児 】

コップに牛乳を注いでくれる母に、幼い私は何度も怒っていました。
「この牛乳おいしくない!これは味が薄いから、もう買ってこないで!」と言い放つのです。

当時、お気に入りの牛乳があり、きちんと母にも伝えてありました。しかし、母は「特売だから」と牛乳の銘柄を変えることがあったのです。
主婦としては正解の行動だと思いますが、おいしさにうるさい3歳の私は許せなかった。

その後、母が牛乳を買うタイミングで必ずスーパーについていき、北海道3.7牛乳(乳脂肪分が3.7%以上の牛乳)を選ぶように伝えます。
「もう覚えたよ♪」と母に笑われますが、それでも時々特売の牛乳を買ってきては、私に怒られるのです。
私が気づくかどうか、わざとやっていたのかもしれません。笑


【 出汁の違いが分かる、3歳児 】

ほぼ毎日、味噌汁が出る"ザおふくろの味"で育ちました。
かつおや昆布出汁が基本でしたが、ある日、ほのかな苦味と魚の香りがする味噌汁の登場にギョッとします。

「出汁変えたでしょ?なんか苦い!くさい!食べられない!」との反応に、母は笑いながら「よくわかったね」と言うのです。

【 真剣に訴える3歳児、衝撃のお味噌汁事件 】です。

味と香りに驚きすぎて、キッチンのお鍋を覗きにいきます。
何を入れたの!と凄んだ私に、笑顔で小さな魚を見せてくる母。

原因は、煮干しを入れたまま煮たお味噌汁でした。
煮干しは、頭やハラワタを取り除き、沸騰直前(70度くらいが目安)に引き上げると澄んでおいしい出汁になります。

しかし母は、頭・ハラワタ付きで、煮干をそのまま煮込んだお味噌汁。苦味とくさみが出るのは当然。
大人になってから、煮干し出汁のおいしさを知れましたが、あのときの母の "思い切りのいい味噌汁" は忘れません。


母の気づきが、夢に繋がる

食にうるさい子供!という母の気づきにより、高校の図書室で食の本を読み、フードスタイリストになるという夢を決めました。

会社に入るのが当たり前という世の中で、どうやったらフードスタイリストになれるのか、全く検討がつかない。それでも、食の仕事を個人でやりたい!という揺るがない想い。

経営者家系で、子どもの頃に貧乏経験がある母には、薬剤師や公務員になったらと心配されます。

それでも、食の世界に入って個人で仕事する!と揺るがなかったのは、17歳の尖りきった志向と、何者かになりたいという自立への憧れがあったからです。
さらに、母が気づいた私の特性が仕事になったら、面白そう!という好奇心の塊でした。



■ いつだって、スタートラインに並べる

3歳の味覚、母の気づき、17歳の図書室という3本柱が、独立の原点です。
そして、コロナ流行が独立のきっかけになりました。

大学で栄養士を取得し、22歳からしばらくは会社員やアルバイトで、夢を追いつつ生活をして来ました。
東京で会社に入った経験、アルバイトだけで必死に生計を立てていた時期は、決して無駄ではありません。

フリーランスとして仕事する上で、取引させていただくのは会社が主です。会社員の経験があったおかげで、クライアントの考えも汲み取りやすいですし、仕事への取り組む姿勢やコミュニケーションも、今までの経験が活きています。

会社にいるときは「夢があるのに、こんなことしていていいのかな」と悩み。
アルバイトで生計を立てつつ、合間にフードスタイリストの仕事を入れ、時間が足りないストレスで切羽詰まっていたあの頃。


それでも、人生で無駄な時間なんてなかった。
フリーランスになってから、過去の経験が役に立つことが多く、つくづく思い知っています。やっておいてよかった!と。

今やっていることが、たとえ足踏み状態だとしても、経験値は着実に積み上がっています。夢がある人は「このままでいいのだろうか」と、同じように悩むことが絶対あるはずです。

いつか自分だけの経験値に、誇りを持てるとき、役立つときが必ずくるので、自分を信じて生きてあげてほしい。当時、必死にもがいていた自分に「今の苦労は、意味があるから大丈夫だよ!」と伝えてあげたいです。

はい、こんな足踏みしてきました。
・大学の食物学科で、食・栄養・衛生について幅広く勉強
・店舗経営と商品の見せ方・売り方を学ぶために入ったカフェ会社
・撮影スタジオ会社で運営管理とプロの仕事を間近で見て、自社の作品撮りに参加したこと
・飲食店のキッチンで現場経験を積み、メニュー開発や料理長をした経験
・転職の合間の時間や、会社の休日に個人として行ったフードスタイリスト仕事

すべては今、個人で仕事をするフリーランスに繋がっています。

そして今も、ふとした時に、今後新しく何をしよう、どんなことをやりたいかなと悩むことがあります。常に、目標や夢を持って生きていたい人間で。

答えがなかなか出ない時は、17歳の頃のように、信頼している人の話を聞いたり、誰かの本やnoteを読んで刺激をもらい、クリエイターの方と話したりコラボをして、自分なりの答えを導き出したいです。(自分への覚書を兼ねています)


どんなときも、自分を信じてあげられたら。


昔、自分に全く自信が無かった私が、現状を受け入れることで、先に進めることが人生で何度もありました。

たとえ苦しい思いをしても、自分を信じて行動すれば、小さな光を見つけられる。
自分の人生のスタートラインは、3歳ではなく、母の気づきでもなく、17歳の過去でもなく、いつだって今だったのです。


今、会社や学校が嫌で苦しんでいる人、夢があってもがいている人、どんな状況であっても、自分の未来を切り開いていく力があります。
何を決めるのも、どう進むのかも、自分の選択次第ということです。

今後、やりたいことが変わることもあるでしょうし、生活スタイルの変化で仕事を変えることもあるかもしれません。(最近は、文章や器の勉強もしています)

『いつだって今がスタートだ!』という気持ちを忘れずに、自分がワクワクできそうな事を選択し、ゆっくりでもいいから、自分らしく歩めたらいいなと思っています。

ワクワクはきっと、見てくれる人に伝わるはずだから。


■ 今後のこと


おいしさについて考えることは、幼い頃から切っても切り離せない縁であり、その楽しさの中に少しでも興味のある人を巻き込みたい。
私の魅せる食によって、誰かの人生(食)が充実しますように。

noteでは、下記の文章を書いていく予定で、先走ってマガジンを作ってみました。興味があるものが、もしございましたら今後ご覧くださいませ。

1.  東京ポタリング、食べ走りdays。(自転車のお散歩)
2.  おいしい幸せが、暮らしのドまんなか。
3.  わが家は、もはや小料理屋。お酒とご飯に合うおつまみ


さらに
様々なジャンルの方ともコラボして、新しいなにかを生み出せたら。
誰かの人生がワクワクするような瞬間を、感性が似ている人と作っていきたいです。

◆ Top picture ◆ 
モデル / みずいし りょう
フォトグラファー  /  シノ
ヘアメイク / 清水 深優
フードスタイリスト / 野口 明日香
(感覚が似ているプロが集まって行った、チーム撮影です)


いつか、食器屋さんやってみたい!なんて、夢も描いています。(カフェで店長していた経験が、役立ちそうな予感)


好きなことを仕事にして、本当によかった。


フードスタイリスト 野口 明日香(あすきー)



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