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苦手な人が多いあなたへ

【苦手な人について】

人の好き嫌い、得意不得意があるのは当たり前なのだけれど、苦手な人ができる心理について最近考えたことをまとめて書いてみようと思う。

最近、自分の問題が解決したり、自分の心が安定しているときには苦手な人というのがすごく少ないということに気が付いた。
なるほど、物事、言葉や態度に本来絶対的な意味などないのに、それに意味付けをしているのは自分自身という前提を考えると、人のその意味のない言葉や態度に傷つくような意味を持たせているのは自分自身といえるなら、心が平穏なとき、自分の問題を解決したときに苦手な人が減るということが理解できる。

心が平穏であるというのは外界にも自分に対しても、理性レベルでの良くない、や、理性的に苦手だよ、はあっても、何かがおこったときに自分の価値観とかけ離れたことならば、それによって自分が傷つくことはないとわかり、感情レベルで動揺することはない。
外界や自分に対しての認識を、0もしくは+のものとして捉えられ、それは他人の中にも自分の中にも美しさや良さを発見することができる。 問題が解決したタイミングも同様で、自分の中のわだかまりや、自分にたいする許せない気持ちが解消されると、他人へのわだかまりも消え、他人に対する許せない気持ちも解消される。

私がいっちばんNGなのは自分が正しいと思って、自分の気持ちや意見を押し付けて、私が私のままだとだめだよ!ってしてくる女性が今まで苦手だったんだけど、母親との関係を改善しようという意識が強くなるにつれ、だいぶ平気になってきた。 もし、私に今後まだ苦手な人ができつづけたり、残り続けているなら、それはきっと私の中に問題が残り続けてるんだってことは肝に銘じておきたい。

何に対しても感情的にイライラしてしまう、人のアラが目立つ時期があって、その時って、自分のことがうまく言ってなかった時期だったんだな。 余裕もなかった。自分も許せなかった。 自分自身になんでこうなの?!どうしてこうなの?と思ってばかりいた。 そりゃ人の失敗や過失が感情的にクソガ!って思っちゃうわ。 まず、心を整えよう。


【上記前提からの愛語や配慮ということ】
前回の前提からすると、悪いのはすべて自分側にあるように思うかもしれない。
それは一つ真理ではあるけれど、それだけではやはり片手落ちになってしまうと思うんだ。
人がみんないつでも穏やかで平穏な状況でいれるわけではないということ。 悪いのは受け取る側のせいじゃん!って切って捨ててしまったら、解決途中の人間はどうしてしまうんだろう。
そういう意味で、他人への気配り、配慮、愛語が大事になってくるのだと思う。
絶対的な価値観や良さ、悪さってものはないけど、マイケル・サンデルの言うような共通善、もっとわかりやすい拡大された言葉で言うと、常識や、民族や歴史が作ってきた共通する価値観、倫理観、共通する良心、共通認識ってものはあるから、最低限これを心がけるだけでもだいぶ違うよね。

この人どういう人かな?と知ろうとすること、何が大切で何が嫌なのかな?
その上で出てくる言葉はきっとちゃんと配慮のきいた愛語になってるはずなんだよ。
自分を含めた相手に興味関心を持つ。
自分を知って、人を知って、自分も人も大切にしていくこと。
これが苦手な人が減って、心穏やかに過ごしあえるコツなのだとおもう。

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