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自分と向き合う

全世界が感染症の恐怖で動きにくくなってから、私自身の生活も少なからず変わっていたんだなあと、今更ながら気づきました。

私の行っている会社はテレワークがなく、変わらず出社し続けています。

そして私自身は感染症に対してそれほど恐怖感を持っていないので(もちろん気を付けてはいますが)、案外普通に必要な場所に出かけています。

そのせいか、自分の生活が変わったという意識がとても薄かったんですね。

でも、よく考えてみたら周りが変わっていました。

例えばうちの夫がテレワークになったり、芸術活動の公演がなくなったり、テレビでは連日のように感染者数が発表されていたりと。

そのことが少なからずストレスとして、ボディーブローのように効いているのかなと感じました。外に向かって発散する場が減ってきている分、心が落ち込みやすくなっている気もします。

私のように大きな変化を感じていない状態でこれなのに、大きく環境が変化した人のストレスは大変なものだろうなと改めて思います。


世の中の活動が制限される中で、以前から学びたいと思っていたカウンセリング講座をオンラインで受けられるようになり、自分自身を改めて見つめなおす機会を得ました。

そうすると、昔持っていたネガティブな感情がだんだん浮き出てきて、私を苦しめました。なぜだかわからないけど、急に自分が価値のない人間に思えたり、罪悪感が湧いてきたりするのです。

芸術活動をする中で、そういう自分が吹っ飛んだように思っていたのですが、人と接する機会が減っていく中で自分を見つめていったら、まだ未消化の感情がたくさん眠っていたことに気づいてしまったんです。

そしてその感情たちに振り回されている私がいました。

いつからだろう。

自分の言いたいことを我慢して、いい子でいなきゃと思うようになったのは。

私は両親のことがきっと大好きで、そんな両親に喜んでもらいたくて、いい子でいたいと思っていたんだと思います。

でもなんとなく覚えている感覚もあって、怒られるのが怖かったんですね。

そんなに怒られた記憶はないんですけど、怒られないようにいい子にしてたところもあったのかもしれません。

いずれにしろ、私は感情を抑圧してきた自覚はあります。

親の言うとおりに、先生の言うとおりに、そうやってがんばってきました。

でも本当は自由になりたかった私がいたんだなと、今更ながら思っています。

でも大人になって家を出て、私は自由にさせてもらっています。親も高校や大学は好きなところに行かせてくれましたし、そんなに縛られた生活をしていたわけではないと思うんです。

ただ私自身の性格なのかわかりませんが、相手の期待に応えようとして無理をしてしまうところがあるのは今でも変わっていません。

そして自分自身の評価がとても低い。そういう人は人から遠ざかろうとするので孤立しやすいんです。今の私はそんな感じ。

そんなこんなで、ちょっと過去の自分と改めて向き合うことになったこの2年くらい。これも必要な過程なんだと思います。

今こうやって一度自分の中を見つめて、過去に置き去りにしてきた自分を改めて感じて、これも私なんだと、よくがんばってきたよねって声をかけてあげたら、きっと変わっていくんだろうなと思います。

誰も傷つかない世界を作りたいと思ったのは、やっぱり自分がいろいろと傷ついてきたからで、今傷ついている誰かの気持ちを理解して、手助けをすることもできるかもしれない。

こんな私が誰かを助けるなんておこがましいかもしれないし、実際できないかもしれないけれど、何もしないよりはやったほうがいいなと思っています。

「やらない後悔よりやって後悔するほうがマシ」

ほんとにそうだなと思います。いつあの世に帰るかもわからないし。

気持ちが上がったり下がったりしながらも、ちょっとずつ変化している私を信じてがんばろうと思ったのでした。

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