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父の命日に思ったこと2022 |終活・エンディングノート・大阪

こんにちは!
大阪で活動している
楽しく生きていくための終活ライフケアプランナー 吉原明日香です!

今年の9月27日は実父の6回目の命日でした。

いつもは父の人生を振り返って、思ったことを書いていたのですが、今年の9月27日といえば??

そう、元首相の国葬の日でした。

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ちなみに事件があった7月8日は私の誕生日、そして国葬は父の命日…という偶然に、正直言うと「なんだかなぁ😅」って感じなのですが😅

9月27日。

元首相は国葬。私の父は直葬。
(ラップをしているワケではありません😂)

全然違いますね💦

まぁ、そもそも立場が全然違うので、並べること自体オカシイのですが💦

で、今年何を思ったかというと、改めて

葬送の規模や形より、故人をどれだけ想って送るかが大事だなぁ、

ということです。

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国費で執り行われる『国葬』という形も

通夜葬儀が無しで火葬のみの形の『直葬』も

送り出す側の人間がどういう想いを持って送り出すのか

また、故人の死後しばらく経ったあと、

どれだけ遺された人間の心や頭に遺るのか。



それは、葬送の規模や形と比例しているワケではないと私は思います


そりゃ国葬までのレベルまでいけば歴史に残るでしょうし、規模が大きすぎる故、国を超えてまで後世に残るでしょうけど、国葬にしても直葬にしても、当の本人は亡くなっていますから。

「俺国葬〜♪イエーイ!!」

「ワシ直葬かぃ!ガビーン!」

みたいなことには、おそらくならないでしょう。


-葬儀は遺された人間の為にある-

と聞いたことがあります。

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葬送の規模や形は、おそらく遺された人間の"勝手なお別れの区切り方•けじめ"なのかもしれません。

もしかしたら"遺族の自己満足"とも言えるかもしれません。

それで満足するお別れが出来るのなら、周りがとやかく口を挟む筋合いも権利もないと思います。

それは、小さな規模での葬送や直葬でも同じです。

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大きな会館で大層なお金をかけた葬儀も
街の小さなホールで最小限に抑えた葬儀も
火葬のみのお別れも

大切なことは、同じ。

送り出す側の故人に対する想い】だと、改めて思った父の命日でした。

※国葬や大きな規模の葬儀を否定しているわけではありません


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