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ええんやで 『やりっ放し』でも 『途中』でも あなたが生きた 証なら ~明日香の終活 心の短歌~ |終活・エンディングノート・大阪

ええんやで
『やりっ放し』でも
『途中』でも
あなたが生きた
証なら

~明日香の終活 心の短歌~ 

こんにちは!
大阪で活動している
楽しく生きていくための終活ライフケアプランナー 吉原明日香です!

今日は短歌バージョンです!笑
(いつもの終活俳句はマガジンにまとめていますので「終活俳句」のマガジンも見てみてくださいね♡)

終活を始めると、どうも「綺麗に片付けないといけない」や「やり切らないといけない」と考えがちかもしれませんが、そんなことはないと私は思います。

たとえ『やりっ放し』でも、何かの『途中』でも
【その時】が来たらもう【それ】に従わざるを得ない
んですもん💦

終活の講師をしている私がこういう事を言うのはおかしいかもしれませんが
私は、終活を何かに囚われた様に、無理に、するのは良くないと思うんです。

片付けや準備に追われて毎日を過ごす位なら…

「終活うつ」になる位なら…


終活なんかしなくて良いんです!!

家の中がなーんにも片付いてなくても、
何かの目標達成の途中であっても、
とにかく毎日を楽しく生きていたら、きっとその人は死ぬ間際に「ええ人生やった!!」と思えると思うんですよね✨

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それに、綺麗に片付けられ過ぎていて、殺伐とした部屋に遺されるのも、なんというか【その人の生活感】が感じにくくて、
確かについ最近まで生きてはいたんだけど、気持ち的には『もっと前からこの世からいなくなっていた』様な気がするかもしれないなぁとも思ったり。

これはもちろん人それぞれだというのを前提として、
例えば大切な家族でも、亡くなって数年・数十年も経てば色々な思い出もだんだん記憶からなくなっていったり、何故か美化されていたりするものだと思うんです。

私の場合は父を亡くしてまだ4年ですが、母なんてもう21年も経っているので、気付いてない間にどんどん忘れてると思います(笑)
だって今じゃ、私にとって母がいない人生の方が長いんですもん💦笑

目に見えない思い出とかって、確認出来ないから仕方ないんです。

でも、片付けられていない部屋やそこにあった物(いわゆる遺品・形見)、空間そのものって、遺された人間からすると「その人が生きた証」になるんですよね。

一見端からみると、経済的にも衛生的にも早く片付けた方が良いと考えるかもしれませんが、その「生きた証」って、もういない亡くなった人と、これからも生きていかなきゃならない遺された人間とを繋ぐ「唯一のアイテム」であり、遺された人間にとっては「これからも生きていく証」になるかもしれないんです。

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私の経験上ですが、思い出だけで生きて行くのも、時には辛いものです。

持っていたからって何か起きるわけでもないんだけど、亡くなった人と唯一繋がれる「遺されたアイテム」って、時には「何も起こらない無敵アイテム」に変わったりして(笑)!

そのアイテムを手にとったり、手にとるまではしなくても思い出すだけで、
同時に「亡くなった事実」も突きつけられるんだけど、
なんか安心するっていうか…

何ていうのかな?巧く言えませんが(笑)

つまりこの一句で何が言いたかったかというと


あなたが遺した物や空間で、これからを生きていける人もいる!
だから無理に綺麗にして「居なかった様なこと」にしなくて良いんです!
たしかにあなたはこの今、生きているんだから!

ということです。

思ってること、伝わったかな、、、?笑


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