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高校生発 ロールモデルをみつけよう! #10 福島県庁 企画調整部 佐藤安彦さん

取材日:2021年12月11日
編集長:志賀巧都・荒川翔矢

 今回のロールモデルは福島県庁で働いている佐藤安彦さんです。
 マイクロバスで到着した福島県庁はとても大きくて、この中に福島のために働いている方たちがいると思うと近づくにつれて段々と緊張してきました。
 私たちを出迎えて下さった佐藤さんは背が高く、力強い笑顔の方でした。バスの誘導のため県庁入口の駐車場を走り回る姿から、快く出迎えて頂いている様子を感じ、少し緊張がほぐれました。


《福島県庁の佐藤安彦さん》

(原町高校2年/荒川翔矢 志賀巧都)

佐藤さんはどんな人?

 佐藤さんは福島県庁の企画調整部というところで仕事をしています。企画調整部とは、主に県を支える施策を考えたり、総合計画を作成するのだと教えていただきました。県庁の職員さんというと、常に難しい顔をして机に向かっていて、余計な会話をしない人を勝手にイメージしていました。でも佐藤さんは自分たちを案内してくれながら、冗談を言ったり、県庁の守衛さんに自分たちを紹介してくれたりと、気さくで明るくてそしてエネルギッシュな人でした。

佐藤さんのこれまでの概要と、仕事を通して大切にしていること

 佐藤さんは、私たち原町高校の先輩であり、1994年東北大学経済学部を卒業後、福島県庁に入庁します。福島県庁職員として入庁して4年間、懸命に現場に向き合っていた佐藤さんに民間企業である三菱総合研究所に1年間、研修へ行く機会がありました。この1年間の研修は佐藤さんにとって、とても楽しく充実した経験になったそうです。研修生同士で行う、月に1回ほどの現場研修のほか、他地域の自治体の職員さんたちと一緒に地方の活性化に向けての熱心な勉強会をおこない、多くの刺激を受けたと話していました。この時の経験が、現在のエネルギッシュで楽しそうに仕事をする佐藤さんの基礎を作ったのかもしれません。

 この後、県庁に戻った佐藤さんは、地方振興局や総務部で知事の秘書を経験し、2020年4月に現在の仕事である企画調整部に入ります。それぞれの部署で現場に向き合い、多くのアイディアを実行する中で気づいたことの1つが、「自分と違った意見を言ってもらえることのありがたさ」だと言います。
 「納得してもらえることも嬉しいが、違う意見をもらうことで、物事を別の角度から見ることが出来る」とも話されていました。
 佐藤さんの話を聞く中で、他の意見を聞き、取り入れることの大切さを改めて感じることができ、自分も自分と違う意見に対して、意識して耳を傾けようと思いました。そして、反対意見をもらうことを喜ぶ佐藤さんって面白い人だなとも感じました。


《チェロと歩む佐藤さんの学生時代》

(原町高校1年/遠藤瑚子・高野真帆)

 私たちの高校の先輩であり、東北大学経済学部出身の佐藤さん。高校時代に先生が弾いてくれたチェロに「これだ」と魅了され、チェロを弾くことができる近場の国公立大学に進学したいと考えたそうです。大学を絞るときに、担任の先生から絶対に無理だと思うぞと言われたことに負けじ魂の火が付き、挑戦してみようと東北大学を目指したのだとか。
 また、文系だが数学が好きだったこともあり、入試で数学の点数の比率が高い経済学部に決めたそうです。入試本番ではちょうど勉強していた数学の問題が出題され、もしかしたら合格できるのではとドキドキして眠れなかったとのこと。
 進路に対する考えや受験の時のエピソードがユニークで、場が和みました。

  無事東北大学に進学し、大学のオーケストラの一員としてチェロを弾くことができた佐藤さん。ところが、厳しい練習と勉学の両立が難しく、1年半で団を辞めてしまいます。一方、大好きなチェロを弾くことが目的の佐藤さんは、どこのオーケストラかという手段を変えることに躊躇せず、勉学と両立できる別の大学のオーケストラに入団し、再びチェロを弾き始めます。

 現在50歳という節目を迎え、「棺桶に足を突っ込んでいる気がする」とも話された佐藤さんに対して、私たちは心のなかで全力で否定させていただきました。そんな佐藤さんですが、今後、どれぐらいチェロを弾けるか考えるとのこと。チェロを弾けるのも後10年、20年とわずかかもしれない。それなら今できることをやろうと思い始めたそうです。お断りしようとしていたオーケストラの手伝いも、最近は積極的に引き受けており、そのために休日も練習が入るなど忙しい時間を過ごしているとか。佐藤さんは本当にチェロが大好きなんだなと感じました。
 佐藤さんは何事にも全力投球する方なのだ、そう確信したエピソードでした。演奏している姿を是非見てみたいです。


《佐藤さんと大震災》

県庁職員として長年活躍してきた佐藤さん。2011年の東日本大震災時には、福島県の中枢として自らの職務を全うしました。そんな佐藤さんに当時の経験について伺いました。

東日本大震災時の県庁

      (原町高校1年/但野むつ美・松崎里帆子)

 2011年3月の東日本大震災当時、福島県庁舎は耐震設備が整っておらず建物が倒壊する恐れがあったため、近くの福島県自治会館に対策本部を設置しました。各市町村からの多くの連絡に回線が追いつかず、大変な混乱が生じたとのことです。「津波が来ているらしい。」との曖昧な情報が本当なのか、この時は確かめる術もありませんでした。この混乱のなかでも1時間おきに災害対策本部の会議が開かれ、大勢の記者も集まりました。「ここやあそこに新聞記者さんたちがいて…あの時は戦場みたいだった。そこで貴社とか県職員とか関係なく頑張っていた。だから、今でもお互い戦友みたいな感覚がある。」と感慨深い表情で話をする佐藤さん。
 カメラや携帯電話を充電するコンセントをお互いに分け合った話や、忙しく飛び回っている県の職員に代わり、記者の方が来訪者を担当部署まで案内をしてくれたこともあったと懐かしそうに話されていました。

 震災当時は福島県知事の秘書を務めていた佐藤さん。夜遅くの記者会見や会議、一日中立ちっぱなしの業務で精神的にも身体的にも疲労が溜まりましたが、もちろんベットなどで寝ることはできませんでした。椅子を並べ、その上で短時間の「休憩」を取ったそうです。休憩中も、疲労で両足がつり、ほとんど眠れなかったとのお話を伺い、佐藤さんたちの激務の様子が目に浮かびました。

 震災時の教訓から、現在の福島県庁舎は他に例を見ないほどの耐震構造を施しています。実際に見学した耐震構造は、1階から鋼鉄の柱が伸び、建物の外から中に突き刺さっているような構造になっていました。この耐震工事のお陰で、あと30年以上は建て替えせずに安心して仕事ができるそうです。上から中庭を見下ろしたとき、巨大な蜘蛛の巣のようにみえた鉄骨がとても頼もしく感じました。


東日本大震災当時の佐藤さんとご両親

(原町高校2年/大矢悠希)

 震災が発生した際は県庁で知事秘書として対応に追われていた佐藤さん。東日本大震災で事故を起こした福島第一原子力発電所から20キロ圏内の南相馬市小高区に実家があり、ご両親がお住まいでした。原発事故を受け、佐藤さんの実家のある小高区は、避難を余儀なくされました。当時、愛着がある自宅から離れることを拒む高齢の住民の方は少なくありませんでした。そういった住民の元には、自衛隊や自治体の職員が直接訪問し、避難するよう説得をしていました。テレビや新聞でもその様子が報道されていました。

 佐藤さんは、お父様に自分のいる福島市へ来るように呼びかけます。

 「もういいんだ。65歳にもなったんだから、俺は避難なんかしねえでここでずっと暮らすんだ。」と家を離れることを拒むお父様に佐藤さんは電話口で説得します。

 「親父の気持ちは分かる。でも、俺は今、住民に避難をお願いする立場にいる。頼むから避難してくれ。」お父様は佐藤さんの説得を聞き入れて、愛着のある家を離れ福島市に避難しました。

 体力的にも精神的にも疲れていた佐藤さんですが、当時の電話口でのお父様との会話は、今でもはっきりと覚えていると私たちに話してくれました。

 そして、お父様が大切な家を離れなくてはいけない時に感じた悔しさ、やるせなさを自分に一言もぶつけずにいてくれたことが、ありがたいけれど辛かったと話されていました。


《佐藤さんの今後の目標》

(編集長 原町高校2年/荒川翔矢 志賀巧都)

 県庁職員として様々な業務にあたり、震災という大きな困難も経験した佐藤さん。常に課題を自分事として捉え、全力で仕事に取り組んできました。
 その福島は復興に向け、いま様々な動きが出てきています。佐藤さんは現在どんな志を持っているのでしょうか。今後の目標について教えていただきました。

〇福島県総合計画をSDGsに繋げ、皆さんに身近に考えてもらうこと
 佐藤さんのいる企画調整部では、総合計画という県の将来の姿を描いています。
 現在、佐藤さんは、新しい総合計画をSDGsと繋げて考えることで、皆さんが身近に総合計画を考えてもらいたいと思っているそうです。
 最近、僕達の学校でもSDGsについての話が出てきます。SDGsとは、簡単に表すと、「環境問題・差別・貧困・人権問題といった課題を、みんなで解決していこう」という計画・目標のことです。
 身近に考えにくい総合計画とSDGsを繋げ、過ごしやすい福島を作れるように皆さんに関わってもらう土台を作りたいと話していました。

〇若い世代が前向きに仕事に取り組む基盤づくりをすること
 佐藤さんは、若い世代へと仕事を引き継ぐなかで、特に意識していることとして、「自分たちが楽しそうに仕事をする姿を見せられなかったら、引き継ぐ次の人は、最初から苦しいとしか思えないのではないか」と考え、そのために、「自分たちは、仕事が大変でも苦しくても、その中で楽しんでいる姿を見せたい」とも話していました。
 佐藤さんは、自分たちの世代だけでなく、次の世代に向けて広い視点で仕事に取り組んでいることを感じました

〇福島の良さを福島県の内外にPRすること
 佐藤さんは、現在、災害対応から復旧・復興の中枢部署の課長を務めています。
 それぞれの地域を考えるときに大切にしていることは、「自分の両親がここで生活しているならばどのように感じるだろうか」という、「自分ごと」としての視点だそうです。全国で面積が3番目に大きな福島県のそれぞれの地域を大切にしたいとの思いを感じました。
 また、現場を見て、復興の状況を国に伝えるだけでなく、福島の良さを企業や県の内外に伝えることが自分の役目であると話す佐藤さん。そのためにも沢山の人と人、部署と部署、人と部署を繋いでいこうと行動しています。

 面白いお話も沢山してくださる佐藤さんは、実はとてもとても熱い方だと感じ、県庁職員さんのイメージが良い意味で大きく変わった編集部員でした。


《佐藤安彦さんから高校生へのメッセージ》

 (原町高校2年/佐藤茅音)

最後に、私たち高校生に向けて、佐藤さんからメッセージを頂きました。

〇福島の良いところを見てほしい。
 広い視野を持って福島県にはこんな良いところもある、こんな面白いことをやっているということを特に若い世代には沢山知ってほしい。

〇沢山寄り道をしながら、今しかできない様々な経験をしてほしい。
 様々なことに挑戦するなかで多くの出会いがあり、出会いからの学びがあり、そこから自分の人生の目標も見えてくるのではないだろうか。沢山の経験が自分自身を成長させ、これからの人生を豊かなものにする。

 佐藤さんの、先ずはもっと福島の良いところを知ってもらいたいとの言葉から、地域の良い面に視点を向けることを意識していこうとの気持ちが沸いてきました。自分の地域が好きとの気持ちを大切にしつつ、自分から挑戦していく気持ちを大切にこれからの学生生活を送りたいと思いました。


《編集後記》


佐藤さんの熱意に触れることができた時間でした。
本当にありがとうございました!


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