ステップやリズムだけじゃない、文化そのものとしての「タンゴ」の重みを身に着け、発信していきたい(Rui&Jonny×Sakurako)
読んだら踊りたくなる、タンゴの世界、『カノン』今回のゲストはルイ&ジョニーペア!本場アルゼンチンで長年活躍しているお二人だからこそ知ること、思うことをネホリハホリ聞きだします。「本場アルゼンチンの流行のスタイルとは?」「リード・フォローって何だと思う?」などなど...アブラッソって、パートナーって、踊るって、一体どういうこと??
-Profile-
Jonny...ブエノスアイレスの最も大規模なタンゴショー、Señor Tangoのメンバーであり、また同ショーの振り付けも手掛けている。サロンタンゴでは常に大会の優勝候補であり、ヨーロッパをはじめとする各国で指導経験を持つ。
Rui...約20年のタンゴ歴、そのうち10数年をアルゼンチンで過ごし日本人として最も賞賛を受けるダンサーである。二人は過去数年間ブエノスアイレスで数多くのショー等を行なっており、昨年より本格的にペアを組み日本で精力的に活動を始める。サロン、エッセナリオ両スタイルのタンゴの指導に精通し、コネクションとミュージカリティを大切にしたレッスンに定評がある。
Rui...ルイ Jonny...ジョニー Sakurako...桜
アルゼンチンの若者たちが作り出す、クラシックなスタイル
桜 タンゴクラシック、タンゴヌエボと、踊りの中にも流行ってありますよね。近年、アルゼンチンで活躍しているお二人が実際に現地で見た、今流行しているスタイルとはどういったものでしょう。
ジョニー 若い人たちは、彼らが考えるクラシックな踊りに戻ってきているんじゃないかな。
桜 それは、元からあった「クラシック」とは違うんですか。
ジョニー 「クラシックな踊りを取り入れた、新しい世代のタンゴ」と言えばいいのかな。説明するには、アルゼンチンの歴史について話さないといけない。
桜 1920~40年ごろ、タンゴの黄金時代と呼ばれる最盛期があったと聞きました。
ジョニー そうだね。諸説あるけど、19世紀末から最盛と衰退を繰り返しながらタンゴの文化は受け継がれていった。
だけど、1950年代ごろから、タンゴは低迷期を迎えたんだ。
政治情勢が不安定になったのと、海外から入ってきたロックに若い人たちの興味が移っていったから、タンゴを踊る人たちが少なくなった。
現代の若いダンサーたちは、家族や、数少ない50年代以前から踊っているミロンゲーロ、ミロンゲーラから話を聞くしかなかった。
そこから、自分たちなりの「タンゴ」を作り上げていったんだ。
ルイ わたしがアルゼンチンに行っていた2004年~5年ごろはヌエボ全盛期だったから、たくさんのミロンガでヌエボスタイルの踊りを見ることができたよ。それに、2002年からタンゴの世界大会が始まって、2006年ごろからは、大会で映える「ウルキサスタイル」も流行るようになった。
桜 大会が盛り上がれば盛り上がるほど、世界中にウルキサスタイルが知られるようになったんですね。
ジョニー 今流行のスタイルは?と聞かれると正直答えるのが難しいよ。
ブエノスではそれぞれのミロンガに特徴があるから、昔のスタイルを貫くところだってある。
ルイ 私は若かったから若者文化に影響を受けているけれど、その何倍、何十倍もの人は自分たちのスタイルを守って踊っていたのよね。
ファッションや食べ物と同じで、踊り方にも流行があるけれど、タピオカティーを毎日飲むひとが人口の大多数ではないように、それは ほんのわずかな人たちが作っては消えていくものなのかもしれないね。
桜 なるほど、勉強になります。
スタイルの変化と同時に、リーダーとフォロワーの関係性も変わってきていると思います。
特にジェンダーのあり方が反映されているというか。
タンゴも男性(リーダー)が支配的なイメージはもうなくなりつつあると思うんですが、いかがでしょう。
ジョニー タンゴ文化の始まりのころは、女性達は家族でミロンガに行っていた。
保護者がティーンエイジャーをミロンガに連れていく場合は「この人と踊ってもいい、あの人はだめだ」と踊る相手を指定してた。
だけど10代後半にもなると、娘たちは自分で自由に踊る相手を決めていたし、男性が無理やりフロアに連れ出す、なんてこともなかった。
今だってそうだけど、カベセオは、双方がアイコンタクトをしてフロアに出るから、女性が踊りたくない相手に無理やり誘われる、なんていうことはないんだ。
踊りについても、そもそも昔から必ずしもリーダー=支配するもの、フォロワー=付いていくものというわけではなかった。
たとえば、アドルノ。今では、リーダーの動きの合間に、邪魔をしない程度にアドルノすることはある。
だけど昔は、女性が男性の動きを止めて「わたしは今ここでアドルノがしたいんだから待ちなさい」と動きで主張することもあった。
桜 女性が男性の動きを止めてアドルノ…
ジョニー そうはいっても即興の踊りだから、「次は右、その次に左」と決める人がいないと踊りそのものが成立しないからね。
どちらかが方向とタイミングを決めなきゃいけないから、男性がリード側に回っている、という感じかな。
たしかに男女の格差が大きかった時代に「リーダー」「フォロワー」という言葉だけ取り上げると、男性が支配者、女性が弱い立場という風に捉えられるかもね。
だけどそれは、あくまでも政治的な背景を通してみたタンゴであって、実際のところはそうじゃなかった。
ルイ 今の世の中はジェンダーの考え方について、昔より自由になったよね。踊りも、男女でなくとも、同性同士で踊ることもあるし、女性が男性をリードすることもある。
数こそ多いわけではないけれど、ミロンガの中にそうした人たちがいたとしても、異端の目で見られることもない。
今の世代の人たちが大事にしたい「クラシック」というものは、タンゴの踊り方へのリスペクトなんだよね。
テクニックの先にあるリード・フォローとは
桜 お二人が考えるリード・フォローってどういったものでしょう。
ジョニー 何が正しくて、何が間違っていると断定するのは、どんなことであっても難しい、と前置きをした上で言うけど、全部僕がやることを決めて踊るんだったら、一人で踊ってるのと一緒だ。
会話のキャッチボールと一緒。ルイと二人で踊るときは、もちろんしっかりリードしてステップの方向もタイミングも明確にする。
だけど彼女が何かしら応えてくれないと、踊りの中の会話が成り立たない。
キャッチボールではなく、僕が一方的にボールを投げているだけになってしまうよね。
だから僕は、ルイが思うこと、感じること、表現したいことを大切にするし、必要としている。
彼女の動きが僕にインスピレーションを与えてくれるから、新たな次の一歩が生まれていくんだ。
ルイ テクニックを超えて二人で踊り始めると、彼のリードについていく、という感覚はゼロになる。
たとえば、二人の子供が一緒に絵を描いているとして、「僕が絵を描くから、君は色を塗ってね」なんて話をすることなく、お互いの得意なことをしていたら自然と絵が完成していくじゃない。
ふたりの表現したいことはそれぞれ違うかもしれないけれど、一つの絵を完成させようとして共同作業をしていくと、一人だけでは描けなかった、新しい作品が生まれる。
タンゴもこんな感じだよね。リードを「してもらっている」という受け身な考えは全くない。
それと、自分が彼と対等な関係でないと思ったり、先生と生徒の関係であったり、上下関係がある場合には、この化学反応は起こらないと思うな。
桜 音とパートナーと一体になれる瞬間って、リードとか、フォローされてるとか、そんな感覚がなくなる時があります。
ルイ テクニックの追求ばかりしていても、「その先」は見えてこないんじゃないかな。
もちろん、自分たちのスタイルを追求するためにテクニックの勉強をして練習することはとても大事。
だけどいざ踊りになったら、私という人間がいて、目の前にパートナーがいて、私の聞いている音楽を彼と共有する。これが本当に「踊る」ということなのかなって思う。
レッスンではテクニックを磨いて、ミロンガではテクニック以外のところを学ぶ。
両方あることで自分だけのタンゴができていくんじゃないかな。
桜 お二人が目指すタンゴってなんでしょう。
ジョニー 僕は自分がクラシックなダンサーだと思っているし、そのパラメーターからは出ないんだけど、その中で「透明」でありたいと思っている。
それぞれの人間性、タンゴに対する思い、そのときの感情、良い思いも苦しい思いも、タンゴには全て出てくるから、全てをひっくるめて、「ああ、これが二人の踊りなんだな」って自然に行きつくところが僕の夢かな。
ルイ わたしは、タンゴって人間の成長と一緒で「タンゴ年齢」ってあると思うの。
幼少期、少年期、青年期、壮年期…みたいな。
やたらと練習したい時期があったり、練習量より質を高めようとする時期があったり、ヌエボやエセナリオを学ぶ時期があったり、定着した自分のスタイルにより磨きをかけていったり…
私はタンゴを始めて20年くらいで、グルグルと目まぐるしくたくさんの経験をしてきた。
だから、今はある意味「こうしたい」という欲求がなくなった。
もちろん、テクニック的には磨ける部分がたくさんあるし、向上することはできる。
だけど、向上することと自分を変えていくことは違う。今の私は、ありのままの自分で踊っていいんだって、思う。
「タンゴ」の文化を身につけ、発信すること
桜 最後に、これからのタンゴ人生で挑戦してみたいことは?
ジョニー 昔は、世界チャンピオンになることが夢だった。
チャンピオン間近まで迫ったことは何度もある。
だけど、いつも2番手、3番手だったんだ。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、いつしか自分がチャンピオンになることより、タンゴの文化を世界中に広める手助けがしたいと思う気持ちが強くなった。
もちろん、大会に出ることで練習のモチベーションにもなるし、スキルを磨くこともできるよ。
だけど、チャンピオンを目指して練習したからといって、それはダンスを成熟させることとは別だと思った。
それに、優勝したからといって、出場者の誰よりも「タンゴ」を持っていたかというとそういうわけでもない。見る側の感性によっても違ってくるしね。
桜 そのために、どんなことをしていきたいですか。
ジョニー タンゴのレッスンだけでなく、ミロンガの文化をその土地に根付かせたり、自分自身が踊りの手本になれるようスキルを磨いたり、いろんな角度からタンゴ文化の成長を助けられると思う。
そんな意味で自分はタンゴ界のインフルエンサーでありたい。
タンゴはアルゼンチンの文化であり、僕ら海外の者はその文化を学ぶこと、これがタンゴなんだと思うんだ。
だから、上手に踊れた、ステップをたくさん覚えた、という表面的なことではなく、もっと深い部分にある、「タンゴの重み」を自分自身が身に着けて、そして発信していきたいんだ。
ルイ 「あなたはどうなっていきたいの?」という質問に対して、いつも頭に浮かぶ歌があるの。
それは『Naranjo en flor』(オレンジの花)という歌。
この曲の一部に、こんな言葉がある。
人は始めに、苦しむことを知らなければいけない
その次に、愛することを、
その次に、旅立つことを
そして最後には、何も考えずに歩くことを
タンゴはこんな順番で行くのかなって思ってる。
今、私は「何も考えずに歩く(生きる)こと」ってなんとなくわかってきたような気がするの。
タンゴを踊ってきて、嬉しいこと、悔しいこと、悲しいこと、たくさん感情の上下があった。そんな経験があったから、今は肩の力を抜いて踊ろうって思うようになった。
音楽があって、目の前に相手がいて…それだけでいいんだって。
桜 なんだか、ぴったりの表現が見つからないのですが、ルイさんって存在感が温かいというか、お母さんに相談事する気分になるっていうか...
ルイ 昔は、踊りは「パッション第一!」って思ってたんだけどね。
だけど、やりたかった経験はある程度やらせてもらったので、今は自分のことより、タンゴを習っている人たちのサポートをしたい。
タンゴを学んでいると、苦しんだり、つらい思いをしたりすることもあると思う。
だけどその苦しみは、いずれ自分の血となり肉となるということを、私自身が経験してきた。
本当は自分の生徒たちにも、もっと簡単に教えてあげたい。
だけど学ぶ上での苦しみは、必ずその人の成長につながるから。
わが子の成長を見守る親のような気分なのかもね。
タンゴを学んでて、何か気にかかることがあったら私のところに来てほしいなって。
今の私のタンゴの道は、クリアに見えているから。
上を目指すわけでもなく、それよりも周りの人たちの手助けになれたらなって。
…うん、今初めて口にしたけど、この気持ちが一番しっくりくるかな。
桜 いろいろな経験を経たからこそたどり着いた境地ですよね。わたしは、まだまだ、「気合と根性でうまくなる!」精神で踊ってます。
ルイ 今は「早くうまくなりたい!」と思って練習してると思うけど、早くうまくなっても面白いわけじゃないからね(笑)
テクニック的なスキルだけを求めていると、自分よりうまくないと思う人とは踊りたくなくなってしまうんだよね。
そうなると、上に行けば行くほど踊れる相手が少なくなってしまう。だから楽しくやれることが一番大事だよ!
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