世界の窓

知りたいことってたくさんある。

世界をどう視るかとか、放射能についてだとか、自分の幸せについてもそうだし、社会の理だとか、ウッドベースの押さえ方だったり、コードの理論だったり…

知ればいいと思う。調べて、読んで読みまくるのじゃ!今日はそんな日記。

あと2つ話したいことがある。1個目は、友達と話したら、ヒラメイタことがあったこと。それは、私は「勉強」や「学問」をできることが絶対的にすごいことで、みんなが面白がれるものではない、みたいな雰囲気をぶち壊したかったのだ!ということ。以前、「自分の世界も広げたし、他人の世界も広げてつなげたい」と書いていた。しかし、自分の世界と他人の世界は完全に一致する訳ないから、自分の世界を伝えることで他人の世界を広げたいという欲望は、至極当たり前のことで、その当たり前を超えてやりたいこととするならば、ただの自分の押し付けでしかないのではないかと悩んでいた。結果的には、私は押し付けたいのである!「勉強って世界の切り取り方を教わるもので、それをどう使ったりするのかは勉強ができるできないに優劣もなく、より高次的に物事を把握できることがすごいということではない」という自分の考えを他人に押し付けたい。そして、勉強できる人はすごいという変な前提を取っ払い、自由になって行動する人間を見たいのだ。きっとその人達は自己肯定感を持って行動できるのではないか、と思うのだ。

もう一つは、新たに小学5年生の友達ができた。現代社会が作り上げた、小さな大人としても子供ってどんな感じなんだろう?とか、アニメや漫画の話はすっかり同じ世界を知っている感じで話せるのに、小学5年生ってまだ私の認識する世界とは少し違うところを生きているのではないか?という気持ちが彼女とのお喋りの中で頭をもたげる。それはきっと、今週の月曜日に違う小学5年生の友達の宿題で、「掲載」という言葉の意味を学んでいた所を目撃したからである。私の当たり前が当たり前でない彼女、彼らの世界はどのようなものなのだろうか。社会的な窓を気づかぬうちに作られている彼らは今後どうなっていくのだろうか?

とても気になる。

明日か、そのうちこの漫画についてかけたらいいな。

読んでくださった方へ、何を思って読んでいたのか、読んでくだすったのか、コメントくをだされば、家の前にやまびこをしに走るくらい、喜びます。